あるヨギの独り言

毎日を楽しく生きるヨギの自叙伝(日記)。 名古屋でのヨガインストラクターとしての生活やヨギとしての旅を続けるYoshiの成長日記です。

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

『あるヨギの独り言』はこちらにお引っ越しです✨

http://ayogi.xyz/wordpress/

よろしくおねがいします!!
スポンサーサイト

| [ヨギの独り言]独り言 | 15:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

男と女

武田邦彦氏の月一講義。

今回のテーマは「男と女」

資料がないので、
電車に揺られながら、
ゆっくりと思いだす。。。。

私は予測不能な未来を少しでも
現実的に描きたいから、
過去の歴史を未来の鏡に映す…

男と女もそうだ。

「枕草子」「源氏物語」…

純粋な恋から、不純な恋。。。

…色々な物語があるけど、
武田先生の講義内容は、
そういった類いではない…

あれは確か…

小学校の3、4年生だっただろうか?
完全な理科オタクだった自分は、
ある仮説をたてた。

「女性は宇宙人なのでは?」

我々も宇宙に住む宇宙人なので、
ここでの意味は、
地球外知的生命体なのでは?

という、仮説だ。

なんと小学生らしい大胆な
仮説ではないか!!

まぁ、
自分の仮説はどうでもよいのだけど、
自分が身近にいる妹の生態を観察して
仮説を作ったように、
武田先生も多くの動物観察から
男と女を考えているようだ。

その内容は、
うーんっ、と唸らされてしまう。

生物的には、すべて男(オス)は女(メス)に無条件で惹かれるそうだ。

何が言いたいかというと、
メスが無理に気を惹こうとしなくとも、
無条件でオスはメスに惹かれているのだ。
だから、生物的に見ると、
着飾ったり、鮮やかになったり、
プレゼントを渡したりして、
メスの気をひくのはオスの仕事だった。

気をひけないと、
子孫が残せないから必死なのだ。

ところが、
人類の脳みそが大きくなってきたころ、
約2万年ほど前から、
男性の性欲が落ちてきたのだそうだ。

そして、
発掘された骨の頭蓋骨を見ても、
約2万年前ほどより女性の頭蓋骨に
化粧が付着され初めているそうだ。

人類が賢くなって化粧を覚えたのか?
賢くなることで落ち始めた男性の性欲をかきたてる為に化粧をし始めたのか?

生物の遺伝子に組み込まれた情報は
意思や感情に関係なく行動させる。
生物は何よりも子孫を残すことを優先するよう行動する命令がされているのだ。

人類の場合は、これに思考が反映されるからむつかしくなる。
感情によって行動がゆがみ、新しい社会風習に流される。

我々に近い生物の猿たちの話。
彼らは群れをなしてグループで活動している。
1匹のボス猿と周りに10匹のメス猿達。
さらに、それぞれ10匹の小猿達。
そこにふらっと新しいオス猿が現れ、
ボス猿とトップの座をかけて争う。

新しいオス猿が勝つと、
新しいボス猿が誕生して古いボス猿は群れを去るのだ。
その古いボス猿は、
群れから離れてすぐ死んでしまうそうだ。

その後どうなるのか?

10匹のメス猿は新しいボス猿を家族として受け入れる。
そして、ここから受け入れ難い話になるけど、
新しいボス猿は10匹の小猿達を殺めてしまうのだ。

メス猿はその様子をただ眺めているらしい。
遺伝子を残すというのは種族全体ではなく、
あくまで単体としてのことなのだろうか?

ちなみに、今の社会とでは風習が違うが、
司馬遼太郎氏の本によれば、
昔の日本では兄弟がいたとして、
兄には嫁と子がいて、
弟は独り身だとする。

この時に兄が亡くなってしまったら、
弟が兄の嫁を自分の嫁として生活する
のが普通だったそうだ。
まだ結婚相手を家族のために親が決めていた時代の話だろうけど。

様々な目線で人類を、生物を、
オスとメスを見ていくと、
何か複雑な気持ちになる。

そして、1つの本を思い出す。
「バガヴァッドギータ」だ。

おのれの宿命に真摯に向き合え!
それに専心するのだ!!
出来心や、心が折れてしまったり、くじけたり・・・
そりゃ思考が反映されるから色々あるだろうけど、
目の前の出来事を無視しないで苦痛を受け入れることこそ、
人の生物としての務めを果たしているのでは?と思ってしまう。

その意味で、男性と女性では向き合う内容が違う。
もちろん、年齢によっても内容は変わってくる。

でもこの違いこそが「人類のオスとメスの違い」な気がすると、
話を締めくくろうか・・・

| [ヨギの独り言]独り言 | 20:12 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

雰囲気で語る。

歳を重ねるたびに虚栄心が一枚一枚はがれていく・・・

・・・そんな人がいい。

涼しい余裕がある顔の裏側にはどんな醜悪な臭いがあるか知らないけど、
エゴとプライドばかり重ねて歳を重ねている人もいる。

心をふわっとさせて柔らさを保つことが大事なんだろうけど、
ひやすら強さを求めて「意志の強さ」を大事だと思っている人がいる。

柔らかさと強さが共存するニュートラルな状態を
いつも目指していきたいもんだ。。。

最近、気づいたことがある。
自分が指導している時に、何を大事にしているのか?
それは、「雰囲気」だった。

いい雰囲気が出ているかどうか?

そんな基準で指導している自分に気づいた時、
あぁ、指導者としてやっと半人前まで来たな~~って感じれた。

エゴとプライドが一枚はがれた瞬間とも言える。

あぁぁ、この雰囲気だ!!!

という、分かる人には分かるけど、
分からない人にはさっぱり感が満載のお話でした・・

| [ヨギの独り言]独り言 | 19:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ぼやき・・・

味わってご飯を食べる人がいたり、
お腹を満たすために流し込む人がいたり、
その店で食べることで満足感を得たりする人がいたり、
料理とマッチする会話を重要視する人がいたり・・・

食べるという行為に対して最初にどのように向き合うか?
それによってすべてのリアクション(結果)は変わってくる。
なにがいいか?の話は別にしておいて・・・

補足だけど、
10代の時代に比べて30代、40代につれて甘みを感じる感覚も半分以下に
落ちて行くのだという・・・(だから小さいときに濃すぎて食べれなかった
料理が食べれるようになったりするのだけど)。

ヨガや瞑想でも同じだ。
そのプラクティスに対して最初に向き合う姿勢が大事だったりする。

ヨガや瞑想を真剣に伝えようとしている人を客観的に見ると・・・
現代という時代はやれやれ・・・と思ってしまうのだ。

食の例に戻すと・・・

本当に生活を豊かにする為には・・・

美味しいものを食べる為には、価値に合う対価を払わないといけない。
食する味わいを感じれる感覚・感性を高めておかないといけない。
その料理と共に知識(食材の知識・土地、国の歴史・食する順番を考えるなど)を持たないといけない。
食がどこから誰の手を経て自分の口へと運ばれるのか?
お店の人との人間関係も大事だ。
食だけでなく、その食に合う飲料物の知識も大事かもしれない。

これは、フランス料理だけを言っているのではなく、
インドのサンバルや、日本の精進料理まで、簡単な朝食までに言えることだと思う。

と、いうように豊かにするということは、
とても面倒で、下手したら苦痛を伴い、
その苦痛を受け入れることでもある。

さて、本題へと戻すと・・・

ヨガや瞑想を真剣に伝えようとしている人を客観的に見て・・・
真剣であるが故に、その内容には辛さや苦痛が伴われるのだ。

山の頂上の景色を見たかったら、頑張って登らないといけない。
ヘリコプターで行ったら、もっと高い所から降りるのだから感動などなくなるのだ。

辛さや苦痛と向き合うことで、その先にある素晴らしき世界などに
到達しなくとも、人間関係や仕事の不満、うまく行っていない人間関係、
最初から築いてすらいない男女の人間関係。表面上の会話や共感。。。
疑似恋愛から、上から目線のもらい泣きや周りに、周りに合わせてする愛想笑い・・・あげたらきりがない・・・

適当にごまかしたり、お酒を飲んで寝てリセットしたりして
向き合わなくとも問題を先送りできてしまうのだ。

やれやれ・・・

この現代の「浦島太郎」的哀しいストーリーは自分も含め、
すべての人に当てはまると思う。

現代という、この世界は・・・
簡単に竜宮城に行けてしまう。

そんな人々に、そっと耳元で
「後で玉手箱を開けたら×××!」とささやいても中々信じてもらえない。

少し暇な時間に考えることは、こんなことばかりだ。
どうやったら、このささやきに耳を傾けてもらえるのだろうか?
玉手箱を開けたあとを待つしかないのだろうか?

でも、形を変えて竜宮城はやってきて・・・
また違った玉手箱を開けてしまうのだ。。。

やれやれ・・・

| [ヨギの独り言]独り言 | 21:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

2013年は自由だ!!

こないだFacebookで、自由に関して触れたら色々なコメントを頂けたのです。

未熟な自分は、
そう簡単には『自由』という概念を
その場で表現できなかった。

ということで、『自由とは?』
…を、お楽しみ下さい。

今まで自由人だと思っていた人々は、
自由奔放でわがままで不自由だったのです。

自由について考えるているこの時間は、
不自由だという矛盾を楽しみながら…
つづってみました。。。

まさに!時間という概念を意識すると、自由を理解できなくなるのです。
なぜなら、太陽光が広がり進むスピードを我々は時間とよんでいるからだ。

その時間の流れが、自由というものの誤解を生む原因ともなっている。

2時間することないから、今から自由ですよ、とか、
規則が厳しいから出来ることが少なくて不自由だとか、
思うがままに行動することが自由だ、とか、
本当に色んな意味で自由は色々使われているのだ。

大事な考えから始めると…
真実・真理という存在の前には時間という速度は吹っ飛ぶのだ。

あぁ、夜空のお星様がキラキラ綺麗!
と、今、見ている星の輝きは何万年も前の輝きに対していっている。
光の速度がその星の輝きを我々の目に運ぶのに何十万年もかかるのだ。
言っている時には、もう、その星はないかもしれないのだ。

あたかも、今、キラキラ輝いている、生ものを見ているように感じている光は
遥か昔に輝いた光を見て、感じているのだ。
何もショックを受けて欲しくて、冷めた目で世間を見て欲しいから言っているわけではない。
それくらい、目の前の感覚と真実にギャップが在ることを知って欲しいだけだ。

自由とは、制限された物を気にしないことを言うのではない…
道が2本の別れ道があり、どっちを選ぶか?直感で選ぶことができる人を自由と言わない。
悩んで、悩んで、苦しんで選んだとしても、それも自由なのだ。

何が本当の自由なのかは、自由でないものを見ていくと見つかるかもしれない。
選んだ道に対して、進みながらこの道で大丈夫だろうか?と、不安がること。
あっちの道の方が良かったんじゃないだろうか?と、不安がること。
今まで歩いて来たのは無駄だったんでは無いか?と、不安がること。
これらの状態が自由でない状態なのだ。

制限は、生きている以上、どんな状況であれ存在するのだ。
制限やルールや規制や、暗黙のルールは見えないようで存在する。
それを無視する勇気を持つ人が自由ではないのだ。
制限に気づかず突き進む人も無謀であって自由ではない。

目の前の制限に確実に気づいていながら、
その中で進んだ一歩に後悔せず、次の一歩への恐怖をいだかない人。
一歩一歩に集中して、その瞬間瞬間に存在し、
時間という流れの影響を受けていない人が本当の自由な人なのかもしれない。

ソレがソレであるが状態(まま)を受け入れているのだ。
そして、受け入れている自分の状態を感じれる人が自由人といえるのだろうな~

| [ヨギの独り言]独り言 | 20:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。