あるヨギの独り言

毎日を楽しく生きるヨギの自叙伝(日記)。 名古屋でのヨガインストラクターとしての生活やヨギとしての旅を続けるYoshiの成長日記です。

2010年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年07月

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅 ⑧

【7のつづき・・】

本当の苦痛はコース終了後だった。。。

センターの最寄のバス停に送ってもらい、バスに乗り込んで、アシュタンガ石川のトシさんと
話しながらバスに揺られていたら・・・

バス酔いが始まった。。。

まぁ、我慢できるぐらいだったので、そのまま駅まで到着して、その次の電車に乗り込んだ。。。

電車でも乗り物酔いが収まらないのだ。。。

京都駅に着いて、胸焼けが止まらないので逃げるように名古屋の最速のものを購入して、
昼には自宅に帰った。

自宅に一人でいると・・・

ウソのように胸の苦しさが引いてゆく・・・

夕方に本屋さんに行きたくて外にでると・・・だんだん・・・また胸が痛くなっていく・・・

ぎゅ~っと・・・

なんだこの痛みは?どうして起こるのか?

参加する前にMySOUL8のアッキー先生にコースの最後は
人との会話に慣れるためのナラシの期間です。いきなり人と会話すると心臓がウッとくるので・・・

と、聞いていて、「うそ~~」「ほんと~~?」と思っていた。

そんなリアクションがあるのかな~?と・・・

今まで感じたことのない経験に期待していたのだが・・

結局、話しても何もなかったので安心していたのた。

けど・・・人ごみの中で来るとは!

心臓がウッとくるというよりは、完全に車酔いに近くて、胸の辺がギュ~~~~ッって鈍い感覚が
ずっと続く・・・

実はコースの初日の頃は、背中に殺意を感じたのだ。

この殺意は自分が作り出したものだ。

たぶん、人とのコミュニケーションがないので周りの人がどんな人か分からない不安から来ていたのだ。
一瞬、まさかっ!(そっち系の人が参加しているのか?)
とも思ったけど、違う。自分が誰かということを言葉で威勢で表現し、そのリアクションを見て
安心できない不安からくる感覚なんだ。

小さい頃より大きな身体で威圧感を与えやすい環境で生きてきたから、
そのリアクションからの安心感を受け取ることに慣れ過ぎているだけなのだ。

もちろん、小さい頃より自分を観察し、実験し、新しい環境にて優位な部分を削り、
弱い部分を強くするようにしてきたけど、こういうナチュラルな場所だと弱い部分が再発見できる。

話は反れたけど、ヴィパッサナーコースが終了して、最後に感じた”愛”は吹っ飛んだ!

これだから人間は面白い!

と、思えるのは今の話で・・・愛を感じたから恋患いか?と思うぐらい胸が苦しかった。

実際、どんなメカニズムでこの感覚が発生しているのか観察できないぐらい苦しかった。

外で道を歩く時は、人気のない道を選び、目を合わさないように下を見て歩いた。

といっても、4~5日の話だけど・・・

深い集中の中にいることからの副作用なのであろうか?自意識過剰すぎるのか?

よくわからないが、コースが終わってからが1番大変だとは思いもしなかった。

しかし参加して得たことも大いにあった。今までの自分の指導方法の本質的な部分は
ヴィパッサナーの練習と同じであったのだ。自分が指導法に改良と発展をしてこれたのも
生徒さんをより深い意識レベルまで集中させたいという思いからだし、
そのリアクションを見る観察を絶えず続けてきたからだと思った。

これから、安心して道を進むことができる。

そして、またこの京都の山奥に練習しにこれると思えるのが嬉しいことだ。
スポンサーサイト

| [ヨギの独り言]ヨガ修行 | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅 ⑦

【7】愛とは友情なのだ。


武士がいたとする。

武士が従事することとは自分の国を守ることである。

だから日々修練する。

身体を鍛えたり、剣を毎日振ったり・・・
実際に戦においては、戦い国を守るのだ。

時に、剣を振るう時には、儀式をしたり、
剣を振るうことによって殺めてしまった人を供養するお祈りをしたりすることもあろう。

日々修練するのには決意が必要で、時にさぼりたくなったりもする。

だから、ルールが必要だ。自分にウソはつかない!規則正しい生活をする!

不正はしない! 国の為に尽くす! などなど・・・

剣を振るう練習をしないで、儀式だの、お祈りだの、日々の生活のルールだの
言っていたらどうだろうか?

あれは、武士ではない!という人もでてくるだろう・・・

武士の精神が大事だといっても武士が行う練習とその戒律によって培うのが精神なのだ。

今の日本の仏教では、その儀式だけが使われている気がする。

日本の仏教は平安時代から勢力争いの政治の道具として都合よく使われて
培われてきたわけだし、当時は流行り病、飢饉、天災などから守ってくれるものであれば、
なんでもそれにすがっていた時代なので、運よく結果を出した日には資金をいっぱい出して
もらえ、それを紹介した一族は地位が高くなっていったわけだから仕方ない。

分かりやすく言うと、国は意味もなく、『道が大事だ!道路だ!高速道路だ!』と言えば、
その政治家とつながっている道路公団、建築に関わる会社、システムに関わる会社が潤うのだ。

ある政治家が、この儀式だ!とある政治家が、このお祈りだ!別の政治家が、この神だ!

そうやって、実践的な内容と本質は遠のいていくのかもしれない。

ブッダが彼の気づいたことをもとに宗教にしてはいけない!と本当に言っていたのなら、
仏教徒であることがブッダの教えに反している踏み絵になるのだろうか?

まぁ、表面的な形にこだわらず、本質的な内容、すなわち実践的なものにしか興味がないので、
自分にはどうでもいいのだけど・・・

結果、どうであれ、幸せであればいいのだ。幸せならば争わないだろうし、そんなに病気にも
ならないだろうし、よく眠れるだろうし、不安もないだろうし、前向きで顔色もいいはずだろうから。

自分にとっては武士として身体を鍛え、心を鍛錬する練習もしないで、武士の心得を読んで
武士になったきになっている自分が許せないだけだ。

それは実践を大事にするヨギの精神からも反するのだ。

そういった意味では、ヴィパッサナーにはウソっぽい部分がなくて嬉しかった。

現実的なのだ。

この10日間の中で同じ部屋の7名はどこかで会ったことがあるのでは?

と思うくらい、見たことのある顔だった。

会ったことがあったのは実は他の部屋にいる石川のアシュタンギだった。

トシさんとは帰りのバスや電車で会話が弾んだのだが、同じプラクティスをしているもの同士、
どのように感じたかがとても興味がわいた。
とても面白い感想を書いているので興味がある人は読んだらいいと思う。

この人はどういう人かな?とか、みんな考えているらしい。

自分は予想しても意味がない。
と、思っているのか、興味がないだけなのか、気にしなかったけど、
他の人々は自分のことを確信を持って誰か決めていたようだ。

確信を持って!

最後の10日目で会話を許されるのだが、ほとんどすべての人に、

『どんな格闘技なんですか?』

と、聞かれた。

ほぼ、全員が格闘家で精神修行の為にこのコースに参加していると思っていたそうだ。

。。。。(笑)

確かに、毎日、庭で散歩して・・・日向ぼっこして・・・丸太のベンチで腕立てして・・・
ストレッチばかりしているのだから・・・

むしろ、『昔はK-1にも出たことあるんですよ!』ぐらいの平和的ウソの方が
皆を幸せに出来たのだろうか?

最終日は、ナンシー先生がよくする Loving-Kindness 瞑想と似ているスタイルのものだった。
メッターと言う。パーリ語ではそう言うが、サンスクリット語ではマイトリだ。

よく『愛』と訳される。勘違いされやすい単語だ。

同じ部屋の7名は瞑想中、坐る場所も自分の左右と前に4名だった。

部屋の配置も左右と前に4名。自分を中心というと "ずぅずぅしい" と思われたり勘違いされるが、
配置的に囲まれていたのだ。

10日間も。

外人の少し年配の方は別として、他の男性はなんとなく同年代。

そして坐っている間も、みんな頑張っている気がした。

部屋でしてもいいとなっている時間も瞑想ホールでまじめに坐る。皆が頑張るから自分も動かない。

気づいたら最後の一時間になっていた。

彼達がいたから頑張れたのだ。

彼達の頑張りが自分に深い集中をもたらしてくれたのだ。

話したことはないけど、寝言や足音で楽しませてくれた。

彼達の・・・・彼達の・・・

感謝でいっぱいになり、深い感情がこみ上げてくる・・・

冷静でいないといけないだろうに・・

それは浄化の涙だった。

この友情がマイトリだったのだ。メッターだったのだ。

愛とは友情なのだ。

昨日の敵は今日の友なのだ。強敵と書いて友というのだ。(←どっかからのパクリです。)

湧き出る感情が収まるまで一人で坐っていた。

どうやら外にでれば話すことができるようだ。乗り遅れたようだ。

外では自分を格闘家と思っている皆さんとの会話が待っていて、
その次の日には朝食後には皆で掃除をして解散なのだ。

結局、淡々と時が流れ解散の時がきた。

すがすがしいのだ。

思っていたより苦痛も少なく、むしろよい時間が過ごせた気がした。

が!

すべての苦痛はこの後だった。。。。

長くなったので・・・次回に回します・・・

| [ヨギの独り言]ヨガ修行 | 14:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅 ⑥

【6】蛇との遭遇

さてさて、この京都の山奥でのプラクティス記も終わりが近づいてきています。

実は、この【6】で書いた内容が消えてしまったので内容をほとんど覚えていませんが・・・
蛇が登場したことだけの記憶を頼りに書き直しています。

ほとんど無意識に語っているのです。。。読み返すのが怖いほどに・・・

そして次回の【7】で終了です。

ヴィパッサナーに参加して、帰ってくるとなんかとんでもない修行をしてきた扱いされます。
でも、参加者は男性に限っては20名近くいるうちにヨガをする人は2名でした。

参加者は皆さん30前後から50前後で一般男性です。女性は隔離されているのでわかりませんが、
初日と最終日の様子からヨガやインド好きのような服装の方が多い気がしました。

種類が多いので他のヨガと呼ばれるものは分かりませんが、ヴィパッサナー瞑想のコースでの練習は
自分が普段しているアシュタンガ・ヴィンヤサヨガの練習と近い内容だと思いました。

もちろん、ヴィパッサナー瞑想は瞑想のみにフォーカスしているので、その瞑想による深みと効果は
大きいと思います。

しかし、正直、何年も坐っている古い生徒さんなどが前方に坐っているのですが、
表面的には、背筋が丸かったり腰が丸かったりしている様子だったのでヨガの練習をしてからの
参加は間違いなかったな・・・と、確信しました。

自分自身に照らしてみても、アシュタンガヨガの練習を継続的にする前はどうしても外側の筋肉に
頼る生活で、腰は弱く、腹筋も弱く、上半身と下半身の連動も弱かったのです。

長く坐るためには上半身と下半身の連動をうながす筋肉と腰と腹筋の強さが大事なんだと実感できたのは
嬉しかったです。

腰は大きく丸々か、大きく反らすかが楽なのですが、その中間のマッスグというのは大変です。

柔軟あればあるほどグニャグニャなので、それを保つ筋肉、詳しくは遅筋的要素の筋肉が必要なのです。

普段、レッスンをしていても、お尻を高くするマットに乗るように!と言っても嫌がり、背筋を伸ばして
呼吸の練習をしていても、ヨガっぽい格好をしている人ほどずり落ちて腰をはっきり反らそうとします。

ココロを満たそうとしているのか?腹筋、背筋が弱いのか? 分かりませんが・・・

自分は柔軟と呼ばれる側にいるので、後半は睡魔との闘いの中、前に後ろにグネン、グネン・・・

こんなに揺れるのか?

という具合にグネン、グネン。。。

むしろ腰が堅くってがっちり固定されている人が羨ましく思いました。

でも柔らかいとは収縮がされやすいということ。収縮されるとは、その部分に反応があると言うこと。

反応とは感覚であり、意識できるということです。

堅いよりは柔らかい方が、感覚は、意識は、粗いものから繊細に、微細になっていきます。

『すべてはメリットとデメリットを同時にはらんでいる』陰と陽を伝えるものの持論ですが、
感度がいいということは、このタイプの瞑想においてはメリットだと思いました。

ヴィパッサナーの練習方に入る日(たしか四日目だったと・・・)、すんなりと深い感覚に包まれました。

それまであった足の痛みはなく・・・宇宙空間にいるような・・・

でも宇宙ではない。なにか時が止まったような状態。とても静かな・・・

ただ脳がフリーズしただけかも知れませんが・・・

この瞬間がいつまでも続いて欲しいという願望が湧き上がり・・・それまで早く終了の鐘が
鳴らないかな・・・という願望下にいたはずなのに・・・人は都合がよいな・・・

なんて思ったりしていると、この状況が解けてしまう気がして、違うものに集中して・・・

これ以来、この状態に浸りたい!という願望、欲望、にとりつかれます。

この状態を勝手に、「絶界(絶対音感などの世界)」と呼んでいたのですが、
坐り初めて、「絶界」にいかに早く入るか?入れるか?それが勝負だ!

みたいなことに・・・少しの休憩でトイレに行き、頭から水をかぶって眠気を飛ばし、また挑戦・・・

なんせ楽しみは毎日の食事と睡眠なわけなので・・・面白いことを見つけたら、それにとりつかれて、
すなわち、執着してしまうわけです。

これは完全なるデメリットです。

そういう意味では・・・ヴィパッサナー瞑想の本質からは離れてしまっていたのかもしれないです。

すなわち、良い生徒ではなかったということ。

まぁ、初めての参加なのでこれから幾度と参加する過程で変わって行くはずだと思います。

特に・・・あれは、最後の2日前。8日目だったかな?

いつものように中庭をぐるぐる散歩していると・・・

『ざざっ!』

という音がしてヘビが近くのウッドデッキの方に逃げていきました。

そのウッドデッキには横になっている人がいて、声を発して教えてあげたくとも
出していけないし・・・でも伝えないと、彼の寝ている下に入り込んだんだから・・・

結局、足でバタバタして、ジェスチャーで教えてあげることに・・・

いるヘビの種類が分からないので、
ウッドデッキは危険ですよと皆に伝えることもできないので、
指導者というか管理をしている男性にだけこっそり教えておいた。

彼を心配した時はびっくりしたけど、ヘビはいると聞いていたから
であったこと自体は何も動揺しなかった。。。

問題はその後だ・・・

もう分かっている人もいるかもしれないが・・・ヨギにとって、ヘビとは・・・

アメリカの救急車の紋章にもヘビが交差しながららせん状に上っていたりするけど、
骨盤底を元の根城として腰辺りに生息し、生命力を産み出すクンダリーニさんなのだ。

蛇との遭遇は、自分の蛇との遭遇をすり込ませてしまう。

それまではイメージだったものが、リアルに意味のあるものとして理由付けが始まるのだ。

そして、その辺りを含めて自由に意識を動かしてよい、といわれるとそこに集中する。

未知なる目覚めを期待する欲に完全に飲まれてしまっていた。

自分でその欲から離れようとすると、今度はじっとしていることを本質的に止めさせようと
睡魔が襲ってくる。この睡魔は自然と起こっていると思っていたが、実は心が自発的に起こしていたのだ。

一種の現実逃避といえる。

どんな緊張しそうな場面でも寝れていたけど、あれば一種の現実逃避なのか・・・

と、自分の弱い部分との遭遇はヤハリ実際辛いものだ。

まぁ、事実なのだからしかたない。

でもそんなに辛くないのは、うすうす気づいていたんだろう。。。

本当に辛いのはその後だったのだ・・・

ラスト【7】に続く・・・



  

| [ヨギの独り言]ヨガ修行 | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅<番外編>

【番外編】無意識について


無意識という言葉を使ってしまったので、少し無意識とは?

に触れたくなった。

ヴィパッサナーのコースでの夜の講和では真理の哲学を学ぶのに多くのたとえ話が
でてくる。

ある目の見えない子供達が動物と触れ合う機会を持てたのだという。

子供Aは、その動物に触れながらなんて堅く柱みたいな動物なんだろう~と言った。
子供Bは、なんて安定しているだろう!床の上にいるみたいだ!
子供Cは、ヘビみたいだ~と言った。
子供Dは、ほうきみたいに毛が集まった動物なんだね~

この動物は象さんだった。ある子供は足に触れ、ある子供は背中に乗り、
ある子供は鼻と遊び、ある子供は尻尾に触れる。

彼らは象さんの話となれば、その印象の深い部分を最初に浮かべるだろう。

自分の思っている印象の!

特に自我への執着が強くエゴのコントロールに勝てない人ほど自分の印象の意味で
持って会話を進める。

何かの説明をしても、「ああ~分かった、分かった。」といち早く答えて・・・
後の行動を観察していると、明らかに分かっていない行動をとっていることがある。

逆に、「あなたの行動の意味が分からない・・・」と思っている人が近くにいたら、
自分自身の言っている意味を履き違えていると思った方がいい場合もある。

太く柱のような足を持つ動物をゾウと言っているのか?
安定した広い背中を持つ動物をゾウと言っているのか?
長く柔らかい鼻を持つ動物をゾウと言っているのか?
堅いホウキのような毛を持つ動物をゾウと言っているのか?

聞き手がゾウと聞いて、「ああ、あの鼻の長い動物ね・・・」と思っていても、
話し手が「あの、太い柱のような足を持つ動物」と思って、そこを中心に話していたら
話が通じないのだ。

正しいコミュニケーションにはいつも、相手(話し手)の立場になって考える思いやりと
想像力と記憶力が大事なのだ。

私(聞き手)は「像と言えば鼻の長い動物のことだから鼻について話していると思った!」

と、言いたいかもしれない。

だから、話し手の意味を理解できなかったわけだし、話し手の言いたい意味を理解しようとする
思いやりの心がない人(自分勝手)と言われても仕方ないのだ。

ゆっくり、相手の言うところの像の意味とは?ということを考える忍耐強さも必要なのかもしれない。

これが相手が特定されていないネット社会、相手の表情が見えない電話社会がもたらしたデメリット
なのかも知れない。もちろん、不特定多数に発信できたり、伝えるべきことを早く伝えることが
できるというメリットも存在するので悪いという意味ではない。

と、前置きが長くなったが・・・・

無意識という言葉だ。

よく自分のヨガのクラスは、
「普段、無意識に行っている呼吸を、意識的にしていきましょう~」
と始めることが多い。

どうやっていくのか?には、色々テクニックがあるのだが...

よくヨガのポーズでも、
「先生がやって見せてくれないので分かりづらいです。」
「何も考えずに見せられたポースをただしていきたいです・・・癒されたいだけですから・・・」
と、いう風に言われることがたまにある。

そんなマッサージみたいな感覚で(無意識を求めて)来られる方には・・・

「鏡張りのなんちゃってヨガスタジオに行って下さい!」

とまでは言わないけど、「残念ですね~と慰めるしかない。」

まぁ、何もしないよりは幾分ましだからだ。

自己満足を増長させるだけだからエゴは高まりつつあって
本来のヨガの道でいうと脇道なのだろうけど、それに気づくための道でもある。

無意識という『単語』ですら、色んな立場から見ると解釈も違っていたりする。

認知心理学的に【意識と無意識】を考えてみると、
人というのは心を持つことが前提であり、
その心の領域に『意識の領域』と『無意識の領域』があるのだ。

無意識の領域とは奥底に位置していて、思い出したくないこと(嫌な体験、トラウマ)や
嫌なこと(ストレスなど)は無意識に押し込められていると考えるのだ。

また、認知科学的に 【意識と無意識】を考えてみると、
心の働きのうちで、意識のレベル(水準)が下がっているときに、自覚できないような
感覚、覚醒レベルを無意識と見ている。

なので、集中の仕方や、注意の向け方や、記憶の仕方で、
意識されたりされなかったりすると考えられています。
すなわち、その時に環境だったり、人との接し方だったり、文化的要素だったり、
自分自身の状態(脳、神経、身体の感覚器官の機能)のレベルだったりする。

自分は心理学の専門家ではないので、勝手な意見なのだけど、
ヨガのテーマは、
チッタ ヴゥリッティ 二ローダハ (走り書きなのでサンスクリット語は分からないけど・・)
なのだ。
『心の働きをゆっくりにしていくことであり、観察していくことであり、
心の働きからの影響を無くしていくことなのだ。』

なので、ヨガでいう心の動きとは、
上の2つの【意識と無意識】で言うとどちらも含んでいる気がする。

どちらか一方では説明が不十分だ。どちらか一方と思って【無意識】を聞いていると
会話が成り立たないのだ。

まぁ、ここまで書いて、分かる人にはわかるし、無理な人もいるだろう。
文章的には分かるけど、実際の練習などを体感でしていない人は解かることはないだろうし。。。

なにはともあれ、

『言葉を発することって大事なんだ!』

注意をしないと、意味がずれていく。
伝言ゲームをしたら最初と最後で内容が変わっているのがそうだ。

ヴィパッサナー瞑想への旅 ⑤の時にでてきた夢の話。

夢診断とかが効果があると言われたは、研究が進んでない時代の話で、
特にフロイトなどは、
「夢を満たされない願望を補充する手段」だと言い、無意識下に押し込められた
もう一人の自分からのメッセージに違いないと約100年前に登場した考えなのだけど、
現在では、
そういった神秘的なものと考えるよりも、脳の記憶活動の作用の1つだと言われています。

夢に意味を置く人には申し訳ないけど、夢を覚えやすいレム睡眠、覚えづらい深い睡眠ノンレム
とかあるけど、レム睡眠状態から夢を覚えていて、どうのこうの考えるより、リアルな現実に
目を向けて集中したほうがいいと言うわけです。

夢を見るような睡眠中というときは、心は何かの判断が出来る状態ではないので、
思い出したくないことや嫌なことがある意識の浅いところと深いところの境界は曖昧になり、
しかし、5感などの感覚はなくなっていないので、完全な無意識にいるわけではないのです。

部屋が寒ければ気づくし、暑ければ皮膚は温度差を知覚するし、
何かの音があれば耳での聴覚は知覚するのだ。

筋力トレーニングをしてみればいい。角度を、アライメントを、フォームを、気にするあまり
鏡の自分を見てしまう。その時の鋭い感覚器官は視覚だ。

トレーニングが働いている筋肉の部分の動きに対する神経的な感覚を鋭くはしない。

これがヨガとの違いと言われているのだろうけど、そうではないと思う。

どんなエクササイズであれ動く部分があるのならば、意識はそこに集中されるべきなのだ。

その動かす場所がもしも、過去にケガをしていたのなら?過去の経験からの恐怖や痛みの記憶が
心に作用する。すなわち、心が動き始めるのだ。その動きに意識を置かねばならない。
その動きに集中しないといけない。

もしも、未来へと身体と心を進めたければ・・・・

確実なる今を通らないといけないのだ。

意識が鏡の自分の部位であったり、誰かであったりするところに置かれていたら・・・

それが、たとえいかにもヨガインストラクターのような外見の人の前であっても、
ヨガ、ヨーガと書かれた看板の下のスタジオであっても、トレーニング設備が整った
ジムであっても、いい夢を見ているのと変わらない。

本を見て運動した気になっているのと同じだ。

本をまねしてポーズしてヨガした気になっているだけだ。

もしも、この文章を読んで心が痛む人がいたらゴメンナサイ。

しかし、それは手術後の目が覚める時の麻酔の痛さみたいなものです。

夢から覚めれて、幸運を運んできたらいいと思う。運ばれる時、動きがあるとき、意識をして!

幸せとは、苦しみへのアプローチを意識的に変えたときに得る感覚なのだから・・・


| [ヨギの独り言]だから脳について考える・・・ | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

6月のヨガクラス

遅れましたが今月のテーマです。

もう何年も前に多くの方がアシュタンガヨガの練習で、「どのポーズまで行った?」
という会話をしているときにスタンディング(立位)のポーズで『ムーラ・ダーラチャクラ』
を意識しながら練習していました。

このことを話しても、『あ、そう。。。。』と言われるだけでしたが・・・

何はともあれ、今月のヴィンヤサクラスのテーマをお読みくだされ。

東京のあっきーの訳です~

Standing Asanas
立位のアサナ

Standing asanas-also referred to as standing poses or standing seats-are the building blocks of a yoga asana practice. They represent our ability to be grounded, to stand on our own feet. This is essential to the attainment of Yoga-enlightenment, eternal happiness, realization of the Oneness of being. The path to enlightenment can be long, and it requires intense dedication and persistence. Through the practice of standing poses, the body becomes strong and articulate and the mind alert and focused, which is very helpful for a practice aimed at making the practitioner more conscious.

立位のアーサナ(立位のポーズあるいは立った状態の坐位と呼ばれるもの)は、
ヨガのアーサナの練習において下からブロックを1つ1つ積み上げているようなものです。
それらは私たちが大地と繋がる能力、自らの足で立つ能力を表しているともいえるでしょう。
その能力は、ヨガによる悟り、永遠の幸福、そしてあらゆる存在と一体であると感じることのために不可欠です。
悟りへ至る道は長くなりがちで、かつ真剣な集中と持続を必要とします。
立位のポーズの練習により、身体は鍛えられて動きがかみ合うようになり、
ココロは気づきに満ちて集中するようになります。
それはヨガの練習者の意識を高めることに役に立つのです。


Standing asanas provide an opportunity to resolve past karmas, especially karmas associated with the first chakra-muladhara, or root, chakra-located at the pelvic floor. Muladhara chakra corresponds to our relationships to the earth, our parents, family, home, authority figures, career, money, environment and issues of survival. When we practice standing asanas, we are often confronted with pain, stiffness, discomfort, fears or anxieties relating to these people and issues in our lives, and by noting the sensations and emotions without judging, denying or running away from them, we set ourselves free from the bonds of those karmas and purify the root chakra.

立位のアーサナは過去のカルマ、特に、骨盤(胴体)の一番下にある一番目のチャクラ-ムーラダラ・チャクラあるいは根源のチャクラと呼ばれる-と関連して蓄積されたカルマを浄化する機会をもたらします。
ムーラダラ・チャクラは私たちが持つつながり、地球(大地)との、両親との、家族との、わが家との、上司との、職業との、お金との、環境との、そして生き延びるための問題とのつながりに対応しています。
立位のアーサナを練習していると、私たちはよく痛みや身体のかたさや、不快な感じ、つながりのある人々と人生の問題に関係する恐れや心配事に直面します。
そして、それらの感情や感覚を良い悪いの判断なしで注意深く観察することや、拒否したり逃げたりしないことで、過去のカルマの縛りから自由になって根源のチャクラを浄化することができるのです。


Standing asanas are important for their complete practice-they include forward and backward bending, twisting, inversion, and balancing. Each standing pose shares a common pattern of energy flow: energy moves up the front of the body and down the back of the body. This energetic flow is reflected in (and affected by) the alignment of the bones. With practice, the habitual disconnection between body and mind begins to decrease. As awareness of the energy flow increases, the movements of the physical body become clearer-more efficient-due to the greater connection with the intent of the mind.

立位のアーサナの数々は(カルマからの解放を目指す)完全な練習にとって大切です。
それらは前屈と後屈、ねじり、逆転、バランスのアサナを含みます。
それぞれの立位のアサナは共通したエネルギーの流れを持っています。
エネルギーは身体の前側を上昇し、後ろ側を下降します。
このエネルギーの流れは骨格の並び(整列)に影響を与え、また影響を受けています。
ヨガの練習により、もはやくせになっている心と体の分離は消え始めるのです。
エネルギーの流れへの意識が増すにつれ、物理的な身体の動きはより明確になり、
より効果的になり、自分の意志とのより強いつながりをもたらすでしょう。


The most fundamental standing asana is tadasana-mountain seat. It is also called samasthiti, which means "same steadiness," or "equal standing." The alignment we strive to perfect in tadasana is reflected throughout every other asana in our practice. If we can master tadasana, then all of the other asanas are like building blocks on a strong foundation. Conversely, without a solid connection to the earth, anything that we build up from that insecure foundation will be unstable. Tadasana begins with the feet-the physical connection to the earth. The feet should be together pressing down into the ground, with equal weight on the outer and inner balls of the feet and outer and inner heels. As the feet press down, all three arches of the feet should lift up-front to back on the inner and outer sides and from the big toe joint to the little toe joint. The arches create a mula bandha effect, directing energy received from the good connection of the four support points on the foot upward.

最も基礎的な立位のアーサナはタダーサナ-山のポーズです。
それはまたサマスティッティ-”変わらぬ安定”あるいは”均等な立ち方”を意味する-とも呼ばれます。
私たちがタダーサナで努力する正しい姿勢は、ほかの全てのアサナに反映されるものです。
私たちがタダーサナを習得したなら、ほかの全てのアサナは強固な積み上げ部品(基礎的な要素)となります。
逆に言えば、大地との強固なつながりがない状態で、
不安定な基礎上に何を作り上げても安定するはずがないのです。
タダーサナは両足-大地の物理的なつながり-から整えていきます。
両足は等しく大地に押しつけられ、しかも親指の付け根と小指の付け根、
かかとの外側と内側の四カ所に等しく体重が乗っています。
両足が押しつけられると、足の三つのアーチが持ち上がります。
それは足の前側から後ろ側にかけての内側と外側、そして親指付け根から小指付け根の三つです。
3つのアーチは、足の四つの支点と大地との優れたつながりから上昇して、
受け止められるエネルギーを導くムラ・バンダの効果を創り出します。


Another key to proper alignment relates to the limbs. Through a combination of external and internal rotation, subtle spirals are formed in the legs and arms that create stability and conduct energy upwards. The thighs and upper arms rotate outward, while the shins and forearms rotate inward. These rotations are both physical and energetic, and they mimic the double helix shape of our DNA, as well as the spiraling of ida and pingala nadis (left and right energy channels) around sushumna nadi (the central energy channel). These spirals should be formed in the limbs not only in tadasana, but in all other asanas as well.

もうひとつの正しい姿勢への鍵は手足に関わっています。
手足の外旋と内旋の組み合わせによって、安定性をもたらし、
エネルギーを上向かせる内的で精妙な螺旋(らせん)的動きは手足に形づくられます。
大腿部と上腕部は外旋(訳注:この場合、正面から身体を見たときに、頭頂部から真っ直ぐ下へ向かう中心線から離れる方向へ回すこと。)し、すねと前腕部は内旋(訳注:外旋と逆に中心線へ近づく方向へ回す)します。
これら外旋と内旋は物理的でもあり、エネルギーの流れのことでもあります。そして外旋と内旋は遺伝子の二重らせんと、同様にスシュムナナディ(身体の中心を通るエネルギーの通り道)の周囲にあるイダナディとピンガラナディ(左右のエネルギーの通り道)の螺旋(らせん)を模倣しているのです。
これらの螺旋状態はタダーサナだけではなく、
ほかの全てのアーサナでも手足に形づくられていなければなりません。

Here are just a few of the other alignment points in tadasana:
タダーサナの他の注意点を挙げます。


Quadriceps contract, kneecaps lift
大腿四頭筋を収縮(訳注:太ももの前の筋肉に力を入れる)させて、膝のお皿を持ち上げる。

Tailbone and pubic bone move toward each other
尾骨と恥骨をお互いに近づける。

Lower abdomen lifts up and in
下腹部を引き込んで持ち上げる。

Sternum lifts, collarbones spread apart, front ribs soften toward waist, back ribs expand
胸骨を持ち上げ、鎖骨を左右に引き離し、前側のあばら骨を腰へゆったりと下げ、後ろ側のあばら骨を広げる。

Chin parallel to floor
あごは床と平行にする。

Shoulder blades move down the back
肩胛骨は下げ、左右を寄せるようにする。

Arms extend, palms face thighs, fingers reach toward the floor
腕は伸ばし、手のひらは大腿へ向ける。指は床へ伸ばす。

Eyes soft, gaze neutral toward the horizon
目の力を抜き、地平線を見つめるようにする。


In tadasana, we embody aspects of the mountain: strong, steady, resolute, eternal, unwavering, dignified. The posture reflects how we should stand in the world-balanced on two feet, with a steady and happy connection to the earth and all beings. And when you find tadasana in every standing pose and, in fact, in every other asana you practice, you will find a connection to the earth, which will direct you to the Divine.

タダーサナで私たちは山のありようである、力強さ、不動、不屈、永遠、不惑、威厳を表現しています。
タダーサナは私たちがどれほど、二つの足で世界と調和のとれた立場にいて、安定して、幸せなつながりを大地とすべての存在との間に持っているかを反映しています。
そしてあなたがタダーサナを全ての立位のポーズに見出す時、そして実際に、あなたが練習している全ての他のポーズにも見出す時、
あなたは私たちを聖なるものへと導くであろう大地とのつながりを見出すことでしょう。


-Sharon Gannon



| [ヨギの独り言]Yoshi ヨガクラス | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅⑤

【5】潜在意識下の中で


と、かしこまったサブタイトルだけど、要は夢の中のお話~

ヴィパッサナーの醍醐味といえば、睡眠ではないでしょうか?

瞑想に1日の間ずっと専心することで疲れた頭を休ませるのか?

それとも覚醒していることで眠りにつけなくなるのか?

じっと姿勢を保つことで疲れた身体を休ませるので眠るけど浅い眠りなのか?

色々なパターンが人ぞれぞれ・・・

「耳栓を持って行った方がいいですよ」の忠告を忘れ、そして忘れたことを後悔していた。

中々、みんなのイビキはうるさいものだ。

中庭にテントがはってあるのだが、あまりにもイビキがうるさくて周りに迷惑かける人が
追い込まれるのだという。。。

ここまで言うと、何か嫌な状態かな?ってネガティブな感じに思うかもしれない。

いやいや、違う。

とっても楽しい瞬間なのだ。

イビキのうるささは誰よりも早く寝てしまえば問題なかった。
 (すなわち、1番迷惑なヤツへと変わるのかも・・・)

不思議なことに毎日夜中の2時半に目が覚めていた。21時~21時半が就寝時間だから
4時間半~5時間ぐらい寝て目が覚めていた。

そして、ヴィパッサナー瞑想の真夜中のオーケストラが開演されていた。

ある者はイビキをかきつづけ・・・

ある者は寝言を言い続けるのだ。

講和の中でも潜在意識の話は登場する。我々は睡眠中でも意識はしっかり目覚めているのだ。

寒ければ肌が温度を感知し布団をかぶり丸くなる。暑ければ寝返りをうち布団とどかす。

浮かぶことに(夢が作り出している映像)に意識も引っ張られまくりだ。

このコース期間中は特に会話をする(コミュニケーション)をすることをずっと我慢しているので
その禁止が解かれるのが夢の中というわけだ。

本当に会話をしないというルールを心のそこから守っているのなら夢の中でも守っているはずだ。

そんなシーンは1つもなかった。

むしろ、久しぶりに英語を夢を見て、自分が普通に留学時代の仲間と(なぜか舞台はNY)英語で
会話している夢をみて嬉しかったぐらいだ。

話がそれたが、みんな寝言がすごいのだ!

そして、すこしそちらに耳を傾けて見ると・・・おもしろい!

ある者は・・
「秘密だよ・・・今は秘密の中にあるんだ・・・」

とか言っていた。。しゃべっちゃいけないことは秘密にするって解釈なのか?

って言うと、他の者が、「そうそう。秘密なんだよ・・・」

え! 寝言で会話?

たまたまなのか分からないけど、寝ていても外の音は聞こえているはずだから反応したのか?

このヴィパッサナー瞑想は毎日、ゴエンカ氏のリードを録音したものを聞いて行っている。
リード瞑想の最初や最後にパーリ語でのチャンティングがあったりする。
そのチャンティングの意味までは教えてもらいはしないので、我々にとっては奇妙なお経のようなものなのだ。

参加者には、あの奇妙なお経が怖いから、もう聞きたくないからという理由で逃げ出す人もいるらしい。
まぁ、自分に都合のいい理由を頭が、心が作り出しそれに従ったというだけだけど・・・

その話はいい。
我々は毎日、ゴエンカ氏の独特のイントネーションで、聞いたことのないパーリ語(ブッダの時代に
日常で使われていた約2500年前の人々の言葉)を聞いているのだ。そして、確かに聞いていて
心地好い感じがするものではない。

あれは3日目の夜だったか?

いつものごとく、夜中の2時半に目が覚めていた。

いつもの真夜中のオーケストラだ。

みんな面白い寝言を言っているな~って思っていると・・・突然!

「にゃ~ナァ~ナー~~~~ニャーーナノー~~~~~~~ダァ・・・」

みたいな声が聞こえてきた。

内容はでたらめなんだろうけど、イントネーションはゴエンカ氏のあれだ!

彼はゴエンカ氏のチャンティングを夢で唱えているのか!?

突然過ぎてびっくりした。夢の中での会話で出てきたのか?

色んなシチュエーションを想像してみた。いやいや、びっくりの一言。

そして、しばらくして彼はもう一度唱え始めたのだ。

2回目は冷静に状況が観察できた。

それまで、他の人々と言えば、寝言やイビキが鳴り止まない夏の蝉のようにあった。

彼が寝言でゴエンカ氏のチャンティングを始めた瞬間に、地震の前に蝉がピタッと
鳴り止むかのごとく全員が沈黙した。

心の中で、感激が走った。

おおっ!みんな睡眠にあっても、潜在意識の中にあっても外からの情報(5感からの情報)
に関してはルールを守っている!

勘違いだけど!

これが滑稽でおかしくて、耳栓を持ってこなかったことを良かった、良かったと思えたのだ。

心の誘導のままにしたがって見やすい部分だけを見て、素直に嫌なものと反応してしまうか、
同じものなんだけど違った角度から眺めて、中々いいじゃん!と反応するか・・・

そういった素直な人々を感情が豊かであるとか、心が真直ぐな人だと思うか、心の誘導に
すなわち、心の誘惑に弱い人なんだと思うかは人それぞれだ。

心の誘導に、心の誘惑に従っても問題ない環境(無責任でも咎められなかったり、世間との関わりが
なかったり、それにさえ気づいていなかったり)にある人ならむしろ自分をよい素直な人だと
思えてしまうだろう。逆の環境だったら、見えてくる反応は違ってくる。

自分は小さい頃よりエゴというものにこだわってきた。

人のエゴの部分を見つけ眺めることにより本質が見えるはずだというルールを物心ついたころに
発見し信じてきた。

とはいえ、この反応の説明を上手くすることが子供にはできずにいた。

同じ考えを思いつき、しかも上手に説明している人に出会えたのは嬉しい。

2500年たっても人間思いつくことは同じなんだな・・・

自分の寝言が聞けないのが残念だった。。。。

| [ヨギの独り言]ヨガ修行 | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅④

【4】精神と時の狭間


朝起きるとすぐに起き上がり、布団を2つ折りにして外へ飛び出していくもの。

ギリギリまで寝ているもの。

色々だ。

自分は・・・?

と、いうと。。。1番に起きて飛び立つものにつられて起き上がり立ち上がるのだが、
急ぐ必要はないか・・・と、また横になる。

そして、5~6分じっとしてから動き出す。低血圧という(事実はしらない・・・)体質から
かもしれない。。。

4時なると鐘がなるのだ。ああ、まさにこれが祇園精舎の鐘の音なのだろう・・・

そして30分という自由時間を有効に使って、4時半からは瞑想に専心するのだ。

この2時間は空腹との戦いでもある。

そして、6時半より待ってました!と、朝食タイムだ。

1時間半ある。

すべてがセルフになっていて、食器も最後自分で洗って終了するのだ。

食器を洗う時も、最初少し戸惑う。

IMG_0745.jpg


大きな桶が2つあって1つは食器についた食べ物のカスをヘラでとる為のもの

もう1つは、洗う為の桶だ。

そして、隣りの流しの水ですべてを洗い流して・・・・

となりの布巾で拭いて、食器を戻して終了。

最初は桶で水洗いして、流しの場所で洗剤でもう一回洗ってから
水で流していてスムーズじゃなかったけど段々と慣れてきた。

人数が多いからすんなり事が進むように工夫されているのだ。

そして、この食事の時間が何よりも幸せな時間なのだ。

すべてのご飯は菜食だ。ミルクや蜂蜜があるからヴィーガンではないけど、
レシピが用意されていてボランティアで参加している古い生徒さん達の
作る料理は本当に美味しい。

後から聞いた話だと今回は特に上手だったようだ。
残り物を次の日にそのまま出すのではなく違う食材を少し加えて違った料理として現れる。

残った食材を上手く使ってマクロビデザートみたいなものまででてくる。

この時期を選んだことを幸運と思うしかないぐらい最高だった。

食事以外の時間は何をしているかというと、シャワーを浴びる人がいたり、
中庭があるのでそこで散歩をしたり
外にある椅子やベンチに坐って日向ぼっこをしているのだ。

IMG_0742.jpg


なんとものんびりしていていい時間だ。

普段は考え事をしてもすぐメモを取ったり、本を調べたり、ネットで調べたり
としてしまう。

ただ考えるのだ。

時に日常のことを考えたり・・・あるアイディアが思いついたり・・・

前日の夜の講和を思い出し、理解を深めたり・・・

ただ考えるのだ。

軽いストレッチをしながら散歩をしたり、日光浴したり・・・

前にもツイッターの呟きは喋るのと同じだと言ったけど、頭の中で
「あ~天気いいなぁ~~」
って思うのは喋っているのと同じだ。発声しているかどうか、すなわち
喉を振るわせて音波を外に出して、自分の耳でもそれをキャッチしているかどうかだ。

ためしに同時に頭の中で2つのことを呟こうとしてみた。

「あれできないじゃん!」って、頭の中で言っているときに他のことが同時に呟けない。

声にだして口を使って喋っているわけじゃないのに・・・

何か意外な発見だったけど、そこからどんな意味意味なのかまではたどり着けなかった。

ヨギの奇妙な冒険はつづくのだった。。。

| [ヨギの独り言]ヨガ修行 | 19:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅③

【3】『精神と時の場所』の巻


さぁ、センターでの生活が始まった。

7人の男女が・・・(ウソ、ウソ)

7人の男性が同じ部屋で10日間会話なしで生活するのだ。

ある意味すごいシチュエーションだ。

そのうち、1人は欧米人だ。

もしかしたら、7人が同じ部屋で普通に布団をひいて寝るというだけで
『無理!無理!』という人も日本にはいるかもしれない。

ウォッシュレットじゃないから無理!

きれい風に見えないから無理!

いやいや、施設はとてもキレイなのだ。

11日目の最後には、みんなで分担して本当にキレイに掃除をして帰る。

でも、1つ不思議なことがあった。

宿泊棟とトイレ、シャワー棟は別なのだが、シャワー棟で何か焦げたニオイがするのだ。

どういう時にするのかも分からず、何が焦げているのかも分からずいた。

最終的に、自分はトイレ掃除を選んだことによりその疑問が明らかになる。

松の木の樹液かなんかで作ったエコ的なクリーナーのニオイだったのだ。

霧吹きみたいなものに入っていて、吹きかけて掃除する。

このニオイだけは原因が分からず最後まで過ごすことになった。

という具合に、ココならではのスタイルみたいなものもあって面白かった。

10日間、周りの人々がどんな人かも分からない状況で毎日が過ぎていくのだ。

これこそ、奇妙な生活だ。想像していたが、現実は刺激に満ちていた。

自分だけでなく、周りも自分はこういう人なんだろうな?とか体格や服装で
決め付けているはずなのだ。

毎日のスケジュールは、ほとんど同じで規則正しい生活だ。

簡単に言うと、6時間半の睡眠。5時間半の休憩。12時間労働。

自分は、この労働を2・3・4・3と呼んでいた。
(休憩を挟みながらこの長さで行われる)

その間に起床、就寝などそれぞれ各30分、朝食時に1時間半、ランチ時に2時間、
夜のティータイムに1時間、合わせて5時間半の休憩タイムだ。

ココでの労働とは、瞑想をすることなんだけど、
労働内容、すなわち瞑想内容については、ここでは触れたくない。

やっぱり先入観がうまれるからだ。
(できるだけ多くの人に参加してもらいたいし。)

バガヴァッド・ギータにもあるように、我々はしなくてはいけない労働に対して
専心するのだ。毎日、毎日、毎回、毎回、毎時間、毎時間、その度、その度。

それが、『精神と時の場所』のルールなのだ。

夜には1時間ぐらい講和を聞くので、瞑想ばかりしているわけではないのだけれども。

この講和が楽しい!

ヨガに関わっている人だったら(ポーズばかりしている人ではなく)、哲学的なことが
出てきて混乱するかもしれないけど、
ヨーガスートラの講和本、「インテグラル・ヨーガ」のように
分かりやすい説明で哲学という気を持たせない話で分かりやすい。

じっとしていたり、行っていると色々な疑問が浮かんでくるものだ。

質問が出来る時間があるので次の日に聞いてみようと思っていると、
夜の講和でその疑問が晴れていく・・・

やはり、考え方、理論、と共に実践はないといけないのだ。

ついつい周りに流されて、周りの誰もが出来てなくとも自分だけが
してればいいやとなってしまうけど、誰もが挑戦しないといけないんだと
再確認させてくれる。

理由なし、目的なし、理論なき、学びなしに行う行動は、肉体を精神を傷つけているだけだ。

精神を傷つけ肉体が欲求を得て、肉体を傷つけて精神が欲求を得る。

たとえ水泳であっても、マラソンであっても、筋肉トレーニングであっても、
理由、目的、動機、理論、学びなしに行うことは、いかなる”気づき”も得ることができない。

やはり、1%のセオリー、99%プラクティスなのだ。

そして、プラクティスは続く・・・

| [ヨギの独り言]ヨガ修行 | 10:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅②

【2】センターで10日間のコースが始まるの巻


さてさて、始まった。

貴重品と携帯や本などのコミュニケーションツール(道具)をすべて預けて、
部屋に行く。

初めての人は大部屋で6~7人で過ごすのだ。

先に申し込みを済ませておけばよかった・・・バスにさっさと乗ってれば・・・
と、少し後悔。

やっぱり、布団は隅っこに引きたかった・・・が、ど真ん中。

まぁ、残り物には福があるかも・・・と気楽だ。

スーツケースが片方の壁になってくれるし・・・そして、
最初の申し込みをした部屋に戻る。ガイダンスだ。

色々なルールを読んで了解しました。という再確認が続くのだ。

何度も、何度も。。。

ここで少し不安が走る・・・

『ルール(規則)を絶対守ってもらいます!』、

『強い意志で最後までいることを約束してもらいます!』

『我々のやり方以外方法を勝手にしないことを約束してもらいます!』、

的なことが次々と出てくるとヤハリ不安になる。

おいおい、大げさじゃないですか??? と。。。

まぁ、無理やり送り込まれてきた人もいるのだから、ここで自ら決意するという
ことが重要なのだろう・・・

自立の一歩かもしれない。

彼ら(運営者)はコースを、修行と呼ぶ。

自分はここをある時から『精神と時の場所』と呼ぶ。

何はともあれ、始まるのだ。

瞑想修行というものが!

| [ヨギの独り言]ヨガ修行 | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ヴィパッサナー瞑想への旅①

【1】ヴィパッサナー瞑想センターに行く前の巻


MySOUL8の講師&スタッフによる忘年会の時に、来年の抱負として・・・

『 2010年はヴィパッサナー瞑想に行く! 』

と、みんなに伝えた。 自分のルールの1つに有言実行と言う重いものがあるので行ってきました。

スタジオには既に、アッキーやアヤ先生や二アとか何度も参加している人がいるので色んな情報は集まる。

が、下手な先入観は持たない方がいいのでは?と、みんなの意見が一致し、とりあえず行くことに。

まぁ、レイシックの手術もビデオを見ずに本番に挑む男なので不安はない。

ただ行くだけだ・・・

ただ、前もって知っていたことはこれだけ。

1)10日間、人との接触は禁止。会話や読書も携帯もメールも、書くことも。
2)宗教ではない。
3)瞑想をする。
4)他の人との共同生活
5)昔、これに参加したヨガの先生が帰ってきてからものすごい秘密な特別なものだという
雰囲気を作り出し、奇妙な格好などをしたりしていたという噂(自分は実際見てないから
どんな風だったは知らないけど、ネガティブな雰囲気を作り出していた気がする)。

アッキーに忠告されたことは、耳栓とメンボーは持っていくと重宝する。洗濯は出来るけど、
10日分の衣服を用意したほうが楽だ。サンダルを持ってくといい。・・・ということ。

出発直前までヨガのクラスがあったり、家を出る直前にビデオレンタルの返却を思い出したり
して、耳栓を用意するのを忘れてしまった。

まぁ、おかげで面白いものが聞けたけど・・・(それはまた後ほど・・・)

ヴィパッサナー瞑想センターはもう20年も運営されているのだという。

それもほぼ、ボランティア(奉仕者達)の手によって運営されている。

実はホームページもあんまり詳しく読んでいっていないのでどういうところなのかも
知らなかった。

さっき言ったように、少しネガティブな臭いを持っていたので敢て情報をすくなくしたかったのだ。

いつも旅には数冊もの本を持っていくのだが、今回は最近はまっている 『ブッダとそのダンマ』
だけにした。

それにしても、新しいことを始めるときは素晴らしい!

慣れていないだけに、知らないという緊張感があり、目に映る何もかもが新鮮だ。

京都駅から次の駅までの電車が何分かかるのかも分からない。

降りた駅からまたバスで揺られていく。

ここまで来ると、明らかに参加者達という人々だらけになっていく。

普段は少ないだろうローカルバスが座ることも出来ない状態になる。

もうこの時点で他の人とはあまり接触しないようにしている自分がいるのだ。

それはそれで楽なのだが・・・

バスを降りると、瞑想センターの白いバンば待ってくれている。7~8名しか乗れないので
少しずつ乗ってセンターへと向かっていく。

自分は本が読みたいのでどんどんみんなに先を譲っていく・・・

とはいえ、いつかは自分の番が来るものだ。

10分くらいでセンターに到着した。

さぁ、ここから10日間のコースが始まる。

何をするのかも良く分かっていない。いいことであるのは確かなようだ。

何が楽しみかって?

10日後の自分の状態を知ることだ。

すべてはこの好奇心から始まっている。

幼少から自分を何かと実験台にしてきた。
自分を使っての実験なら文句は言われないだろう!
こんな体験したときの自分のリアクションは?

人はそんなに簡単に変わることはできないけど、
見たことないような自分の姿が見れるかもしれない!

などなど、みんなこういうことを楽しみ参加しているのか分からないけど、
自分はこの1点のみを持ちつつ参加したのであった。

つづく・・・

| [ヨギの独り言]ヨガ修行 | 12:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

2010年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年07月

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。