あるヨギの独り言

毎日を楽しく生きるヨギの自叙伝(日記)。 名古屋でのヨガインストラクターとしての生活やヨギとしての旅を続けるYoshiの成長日記です。

2010年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年01月

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一人忘年会2010。

感謝すると共に”ありがたい~”とも思う。

正にインポッシブル イズ ノット ポッシブル だ。

不可能なんてあり得ない! とまでは飛躍しすぎかもしれないけど、

有り難い。有り得ることが難しいぐらいのことがおかげさまで起きているわけです。

自分の場合はすべて、その「行為」というものを重視しているので、

いつも、その言葉と行為との食い違いや、その言葉と表情との食い違いに違和感を感じてしまいます。

それをリアクションと読んでいるのですが。そのリアクションを読み取る力が大事だと思っています。

誰にとって大事なのか? 道を示すものにとってです。

道を示すというと大げさですが、字のごとく、道を聞かれても同じです。

道を聞かれて説明して、聞いた人が違う方向に進んでいっていたり目的地に着かなかったら
道を示すという親切はしたけど、行為はよい結果をうんでいないし、示せなかったことになります。

道を示すもの。父親、母親などの両親であったり、姉であったり兄であったり、上級生であったり先輩であったり、もちろん先生であったり、会社なのでは上司であったり先輩であったり社長であったり校長であったり。。。

実は冷静にすべての人々に当てはまるといえるのです。

何が違うかというと、その責任の広さと重さと深さ。 この微妙なニュアンスは英文では書く自信がない。。。

何はともあれ、いついかなるときも、
指し示す時もあれば指し示されている時もあるし、道の上にいると感じることが重要だと思っています。

もちろん、時に迷子になることもありますが誰が、どんな考えが、
どんな思想が自分を指し示してくれているかを知っていればまた元の道に帰ってくることが出来る気がします。

と、ここまではあたりまえじゃん!と思いますが。。。

重要なのはここからです。

こういった重要なことはシンプルなことと殆ど同じように見えて、微妙に、絶妙に、そして巧妙に
(しつこいか・・・)違っているので本などでは語られることもなく、重要だなんてバカらしくて
馬鹿でないと言えないのです。

まぁ、いいとして。。。

人はネットを通じて相手のリアクションなどを見なくてもいい、見えないメールやブログを通じて(はい。私もですが。。。)の作業と共にどんどん弱くなっています。ある人はコミュニケ-ションの仕方が変わってきているといいますが、メリット、デメリットが大きく違うのでそれを補わないといけません。
まぁ、何が言いたいかというと、便利になれば成る程、弱くなっているのです。カラダも精神も。

楽をしようと、怠惰で過ごそうとします。

だから、道を示すよりは示されたいと思います。運転中にカーナビに示されるがままでいる方が楽だと。。。

しかし、最初の話にもどりますが、人は道を示すのと示されれるのとを、結局どちらもしないといけないのです。

ということは、道を示されている間にも、自分がその道を示す側として示すつもりでいるといいということ。

この人しっかりしているなぁ~と思う人は、こういう酷い対応をする人がいるけど自分だったらこうするのになぁ~とか、こういう言い方を別のいい方にするだけで変わるのだけどな~とか、批判は批判なんだけど、
ポジティブな方向性を持つネガティブなこと(批判)なのです。

単なるネガティブな人や感情の渦に我を忘れる人々は、すぐ怒ったり文句を言ったりします。
そのくせ、しっかり執着に近い愛情を育んだりしているのですけどね。。。よくサービス業が
クレームを上手に利用してファンに変える手法です。。。(また話がそれました。。。)

道を示され進む側としては、示す場合も考えつつ行動するのが大切だということです。

例えば、地図という道を示す手がかりを手に入れて目的地にいく時に、帰りは地図なしで(自分自身が道を示して)いくようにするとか、帰りは誰かに道を教えてあげるつもりでするのは、何も考えずに目的に到着するのとは大きく違うということです。

逆に、道を示す時に重要なことは何だろうか?

反応を見ることだ。伝わり方は人それぞれだし、習得への情熱、時間、理解度も人それぞれ。

こちらから質問、疑問をシャワーのように浴びせて、その反応をリアクションを見るしかない。

そして、そのリアクションに感謝するのだ。ありえない!と。ありがたい!と。

自分は嫌らしいくらいに、分かりやすい質問、見えない質問、絶対に分からない質問などを出して
それから産まれるリアクションを観察してきた。特に自分自身に対してだけど。。。

自分がどんなリアクションをするのかが1番の楽しみなのだ。

こんなシチュエーションでの自分の反応(リアクション)はどんなものなのか?

それが今まで自分が学んできたことが現れる瞬間のような気がする。

と、話が自分のことになったけど、対人にしても同じである。

時期が12月ということもあり世の中は忘年会やら年越しに浮かれていると思う。
(別に悪いという意味ではない。)自分もキリスト誕生の月で町が光(イルミネーション)に
包まれながら神聖な気分を味わうようにしている(むしろ、忘年会で騒ぐとうより穏やかに
なってしまうが。。。)。

正直、気分はもう来年にあり、2011年をどう進むか?自分をどう導くか?に焦点はあるのだけど、
一年を振り返り感謝するのも大事だな。。。と、思う。

自分にとっての忘年会はすべての人のリアクションに感謝することなのだ。

自分の行なう事業に関するスタッフ。自分があげていくハードルについてきてくれているスタッフ。

本当に感謝なのだ。 ヨガスタジオでいうと、先生達、そして、先生の卵の人達、みんな、
ワークショップや勉強会など、自分の出すハードルや課題、質問に良く反応してくれていると思う。

最後に、結局ヨガを褒めることになるのだが、ヨガとは道と言われることが多い。

どの道があるのか? どのように進むのか? どのように進ませるのか?

周りに進む人がいて、道があるから、一番分かりにくい自分の位置が分かるのだ。

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| [YOSHI ' S LIFE]DAILY LIFE | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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盗まないとは何を盗むのだろうか?

ヨーガ・スートラには実践編として8つの部門がある。

その2つ目にあるのがヤマというものだ。

所有欲に関する内容がある。所有したいという気持ちとはどんなものなのだろうか?

所有するということに対して色々なステージというものがある。手にしたことがなくて所有したい!と願うことであったり、
所有したことにより満足をしてしまう人や、所有したら独占したがる人や、所有したらそれを持ち続けたいと思う人もいる。

それぞれに所有に対する意識というのは違っていて、どれもが感情がその感覚には大きく影響すると思われる。

世界で全員が持っていているに自分だけ持っていなかったら・・・欲しいと思うだろうか?

たとえ1円の価値でも皆が持っていたら自分も欲しいと思うだろう。

逆に1つしかないものだったら? いくら出しても欲しいと願う人もいるだろうし、まったく興味がわかない人もいるだろう。

限定200名だけが参加できるコンサートがあったとして、そのチケットを手にしたら所有欲が自分にわきあがる。

その200名だけが参加できる権利を手にしたのだ。すなわち所有権だ。権利を手にしているという事実が
そのチケットの価値を跳ね上げる。もしも売ってくださいといわれたら10倍の値段を提示するかもしれない。
手に入れたという権利が心の欲を刺激して価値を跳ね上げるのだ。

人は一度手にしてしまった所有権に対してほれこんでしまうものなのだ。

使い慣れた財布にしたって、車にしてもそうだ。時間と共に思い出として価値が上がっていくのだ。
旅行にて色んな買い物や食事をした時に使った財布。レジャーや買い物や旅行で使った愛車。

その愛車も中古屋さんに持っていってびっくりする。え!こんな価値しかないの?

”私”が使っていたものなのに!

愛着とは使って初めて芽生えるものなのだ。
市場では使ったことない人、所有したことない人を満足しないといけないので
お店が用意するその商品の魅力は価格だったりする。

そしてその所有の感覚にはもう1つの別の要素もある。
一度所有したものを手放すことに対する欲だ。
一度手にしたものを手放すことに人は大きな抵抗を示すのだ。

在る物が永遠にそのままであることはあり得ないということから盲目になってしまうのだ。

”私”が手に入れたもの。

”私”だけのもの。

すべては絶えず変化していて、それを所有した瞬間さえ一瞬なのに。。。

永遠と錯覚してしまうのだ。

ではどうしたらいいのだろうか?

自分の中にある1つの解決策はシェアすることだ。

感動を共有する。

無理矢理相手に合わせて”分かる、分かる”と共感したり、した気になるのではなく、共有するのだ。

それには正しい理解と自分自身を静かな状態にして受け入れ態勢をちゃんとしてないといけない。

盗むことなく、所有意識に心を揺らされることなく、皆で共有していくこと。

距離と距離が近いことも共有感覚の大事なキーかもしれないし、
共有感覚については自分もまだまだ勉強しないといけない気がする。

2500年前と現代における”盗む”という単語1つでも意味合いが違うはずだ。

2500年前の人々とも”盗む”という意味合いを共有しないといけない。

すべては相手との距離感を縮める作業であり、
相手の立場に立つ作業が自分の位置を示してくれるのかもしれない。。。

| [ヨギの独り言]Yoshi ヨガクラス | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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リゾートには夢がある

ここに1人の男がいる。

南の島のリゾート開発に関わる男だ。

この秋に12個の連続するヴィラをバリ島に完成させた男だ。

2009年1月頃にここのブログで書いた記事に[宇宙に吹く風]というのがあったんだけど、
そこにある写真が下のものだ。
yoshi.jpg

その時にはこんな風に真っ平な土地が…

P1030235.jpg

奇麗なヴィラに変わるのだ。

何かが出来上がっていくのは美しい。出来上がりよりもその過程に純粋さがある。

何故?こんなにリゾート開発に魅かれるのだろうか?

親戚が下呂に温泉宿の旅館を運営している影響だろうか?

ハワイに4年近くもいて、リゾート地に意識が向きやすいのだろうか?

小さい頃より年1回の旅行は下呂温泉。
しかも、ハイシーズンは混むから迷惑だろうということで暑い夏に行くのだ。

まだ温泉宿として何も開拓されていなかった下呂の街もこうやって開発されていったのだろうか?

下呂の温泉をひいたときかされているひいお爺さんも石ころの上に乗っていたのだろうか?

おっと、この素晴らしいヴィラを開発したのは自分じゃなかった。。。

この漢(おとこ)である。
P1030234.jpg

今の自分に出来るコトは。。。いつものスタンプ(印)を打ち込むことぐらいなのだ。。。

P1030250.jpg

いつかヨガのリトリートなどで使わせてもらいたいけど、ヨガとか忘れてのんびりしてしまいそうだ。

さてさて、自分もこの街、ヌガラを盛り上げていきたいものです~

| [旅するヨギ]バリ | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伝える内容が変わるのではない、表現が変わるのだ。

世の中が完全であると思えたら、最終的に感じれたらいいなと思う

いつも感情や周りの勢いに振り回されてグルグルしている人々を
みると不完全であると思えてしまう。

しかし、不完全であるという集合体の完全体が世界なのだろう。

世界(大宇宙)という多くの要素をミックスした巨大な空間は
それ自体がいつも完全にバランスのとれたもののはずだから。

瞬間瞬間で過去に引きずられ、未来にほんろうされている
不完全な自分が悩んだり、完全なものを受け入れるのを拒んだり
しているようだ。

大事なのは完全なものに対して自分がどういう態度を示すかだ。

その選択肢を見つけないといけない。

その選択肢があるのだということを知らないといけない。

ヨガのレッスンでもそうだ。

自分はいつも何となくのテーマを用意しているものの(時に目標とするアーサナだったり、
時に伝えたいヨガ哲学だったり、ストーリーだったり。)、
その場の生徒さんたちの様子によって伝え方を変えている。

ちょっとヨガが分かる人達や、まったく初めての人達、
何年もしているけどある部分はまったく知らない人達、などなど。。。。

そのような不完全な世界で完全なヨガレッスンを待ち構えているのだ。

みんなが・・・

彼等に勝手に理解しろではなく、大事なのは彼等に自分がどういう態度で接していくかだ。

伝え方を変えるのか?
声の大きさを変えるのか?
何度も言うのか?
あえて失敗してみるのか?
反対をしてみるのか?
褒めるのか?
かきたてるのか?

内容は昔も今も変わらない。しかし、表現は変わるのだ。

少し前よりヨガを連続的に学ぶコースが始まった。

昔と今ではヨガのイメージも少しずつ違っているようだ。

ヨガ雑誌や本がいっぱいあって色んなイメージが入っている。

それぞれ色んなヨガ講師やヨガインストラクターから習ってきた人達ばかりだ。

知っている言葉やポーズ名など1つなのに、新しい感覚や取り組み方があったりする。

それぞれ理解したり感覚を得る場所も個性的だ。

その個性的な者たちが作り出す完全体に不完全な自分が
どうバランスを取っていくのか?

そう。

学ばしてもらっているのは自分なのだ。

いつか完全なものへと1つになる感覚を得る日を夢見て……

| [ヨギの独り言]独り言 | 16:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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不思議な感覚

ヨガの練習を続けると身体に何かしらの変化がおこっていきます。

この変化は新しい状態へと進んでいくようにも思えるし、
元々の姿へと戻っていっているようにも感じます。

それは心にもいえること。

新しい考えがアップロードされているようにも思えるし、
元々の考え。

すなわち、世間が作り上げた常識だとか、
偏見だとか、固定概念が取り外されていくようにも感じます。

確かに、核(コア)となる性格は2~3歳までに構成されるともいいます。

そこから人間関係、家庭環境、社会、文化の影響を受けて
感情に色んな付着物がついていき、それらが膿(うみ)のように
エゴを作り出している気もします。
(ある人などは前世の影響からもあるといいますが、自分は信じるどころか、
分からないとしか言いようがないと思ってます。遺伝子は何かしらの影響を精神に
働きかけると思ってますが・・・)

自分が作り出す人間関係も、社会構造も、色んな仕組みも、
がむしゃらに形づくっているのではなく、
ぐねぐね道を歩く時に、自分が自然と道に沿って歩いているように、
自然とその周りを構成するモノ達によって出来ていく(構成されていく)気がしてきました。

芸術家の作品も、数式や方程式によって出来るというより、
迷いや、こだわりや、偏見や、誰かの目を気にすることなどを繰り返しながら、
感情やエゴの邪魔が取り除かれた向こう側に、既に用意されているもの
なのではないか? 

と、思ったりもします。

ただ、その用意されているものが、その時代や文化に受け入れられるか?
同じ作品が既に誰かによって世に出ていないか?

などが
成功と関わる要因なんだろうけど。。。

それは作品自体の存在感とは関係ないことだったりします。

怒りの感情も自分とは違う所から湧き水のようにあふれてくるもので(天災のような感じで)、
無理に押さえ込んだりせずに、その流れを見るしかないんだな。。。と。

自然とニョキニョキはえてくる枝は仕方ない。
(他との関係性のもと切らないと行けない場合もあるけど。)

なんてことを静かに感じていると。。。

自分自身が庭で育てているハーブとあまり変わらないように感じてくる。
水をもらえれば育つし、なければ葉っぱは少なくなっていく・・・

不思議な感覚なんだけど、これもヨガの練習や勉強を通じて得られた感覚だったりします。

このような感覚は誰とシェア出来るのだろう?と、思ったりもしますが。。。

コミュニケーションは言葉が通じないと感じた時から必要性が生まれるのだけども、
ちゃんとした意思疎通:コミュミケーションが出来ていないことすら知らない人達が多い現代において、
この不思議な感覚を大事にすることが新しい世界を作るのではないか?

と、ぼんやりと曇りがかった世界が見えてきている状態です。。。

小さい頃より多様性と環境適応能力が自分を高める術だと信じてきたのですが、
多様性を持つために何をしたらいいか?

環境適応能力を持つ為には何をしたらいいか?

という具体的な方法などはなく、適応しようと周りを感じるアンテナの感度を強くする方法よりかは、
情報を受信する受信体(パシーヴァ)が丈夫であることが重要なんだな。。。

と、感じたりしています。

何が言いたいか良く分からなくなっているのですが、
言いたいことが上手く言えてないとも言いますが。。。

この言いたいことを、この感覚を表現できるように頑張りたいと思います。




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