あるヨギの独り言

毎日を楽しく生きるヨギの自叙伝(日記)。 名古屋でのヨガインストラクターとしての生活やヨギとしての旅を続けるYoshiの成長日記です。

2011年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年04月

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つぶやきを・・・独り言へと・・・(3)

自分の瞬間に目を向けることで、日々自分が変わっている瞬間を見つけることが出来る、

これは素晴らしい、感動だ。


* 00:25 いつからか人を励ます時に肩を、背中をさするようになった。
自分自身があれほど人を拒絶し触れることを拒んでいたのに… »»

* 00:31 感情は動物の中で人だけが持っている物だと言っていいだろう。
動物達に見られる怒りなども恐怖などの本能からくるもので人の感情とは違う。
涙は人だけが流すのだ。
いつから感情が眼に作用するようになったのだろうか? »»

* 00:39 感動が涙に。恐怖が涙に。哀しみが涙に。喜びが涙に。抑えきれない、
感情が5感を表現する作用機関の1つに働きかける眼に作用するのは何かいみがあるのだろうか?
眼は色を取り上げる機関なのだが、色と感情は関係あるのか?目の見えない人は、
感動したら涙はでるのだろうか?満月は夜中の思考を満たす »»


小さい頃より感受性が豊だと人からよく言われていたのを覚えている。
感受性が豊とは、5感(見る、聴く、味わう、におう、触れる)ことにより周りの環境を
読み取る能力のことだ。もちろん、読み取らないとやっていけない環境だったということもあるけど、
何よりも恐れていたのは逆に読み取られることだったのかもしれない。

それほど、ネガティブな塊を持っていたのかもしれない。表面ではそれを包むことはできても、
触れられると表に出てしまうのを知っていた。
だから、触れるということに対して何か拒絶感があったのだ。

触(ふ)れるというのは、ただ触(さわ)るのとニュアンスが違うのだ。
5感の1つであるように、何かしらの情報が行き交うのだ。

屈託なく周りに笑顔を振りまき、周りとの境を少なくしている人を見ると羨ましく思えるけど、
外に出る分、無制限に受け入れているわけでもあって、それはそれで苦痛なんだろう。

そう、自分自身から出てくるものとして涙もある。人前で泣ける人、泣けない人。

男子は涙に対する美学があり、女子は涙に対する化学(化粧)がある(笑)。

なんて、思いつきで名言的なものをかってに作りましたが、涙とは不思議なものだ。

涙とは眼球が乾かないように目の周りをグルグル流れているものだと思うんだけど、
感情が表に大きく現れるとともに目という器ではキープしきれなくて溢れ出る。

以前、飛行機の中で見た映画に感動して、号泣したんだけど、隣に妹が座っていて
恥ずかしいので、反対側の片目だけ泣いたことがありましたが、これは美学ではないか。。。

もともと、動物的観点からいえば、涙は感情により溢れ出るものではなかったものなのだ。

最近は感情はどのように分類できて、どれを人だけが持ち、どれを動物も持つのか調べたいと
思っているのだけど、なぜ? 眼が、涙が、感極まる結果の産物になったのかが不思議なのだ。

実際に、涙が出てくるのは眼のようで目ではない。目の縁にある涙腺からだ。

決して感動すると目が乾燥するから涙がでるわけではないだろうし、不思議なものだと思うのだ。

そして。。。年齢と共に涙腺のカギは開きっぱなしになる。。。これはなぜだろうか?

検索で答えを探すのでは、満月の夜には粋でなかったのだろうな・・・
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| [ヨギの独り言]独り言 | 10:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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つぶやきを・・・独り言へと・・・(2)

瞬間的なつぶやきのままでは終わらせない。よく考えることが自分をいい方向へと向けていくと思う。

# 11:25 単純であることやシンプルであることは大事だ。シンプルなことを複雑に考えてしまう人、あえて複雑にして真っ直ぐ見つめたくない人がいるからだ。その逆もある。複雑なものをシンプルに考え人。複雑な絵をぼ~と眺めるようにする人。注意力や集中力といった思考が停止している人だ。

実はこの考えは自分のライフワークの中心的な考え方ともいえる。

シンプルに考えると答えはスグ其処にあるのだけど、感情(好き・嫌いなど)が恐怖や不安という感覚を
作り出し複雑に選択肢を増やしていく・・・
また、そのシンプルな答えにリアル(現実的)な嫌悪感や違った望みを見つけ出して直視しなかったりもする。

状況は複雑なんだけど、1つ1つをよく見ていけば(ゆっくり見ていけば)、分かるのだけど、
それを面倒と思ってしまったり、全体として『善い』か『悪い』かのどちらかにしてしまう人。
しかも、自分での判断ではなく、誰かに『善い』か『悪い』か判断してもらおうとする人。
完全の思考停止型の人だ。

思慮深いようで妄想深いのだ。 幻という闇に包まれてしまっているので、会話が成り立たない。

単純であることやシンプルであることはとても大切なのは分かるけど、それまでの道のりは険しい。

何かを望む欲や、何かに固執して他を拒絶する嫌悪感や、それらから生まれる不安や恐怖。

これらの影響を受けないようにするための道のりは険しいのだ。

そして、その道のりをミンナで頑張って進もう!というメッセージなのだ。



# 11:34 すぐ結果を求める人。すぐ答えを求める人。多くの原因が微妙に重なり合い、そして、全ての原因を含んで結果は存在している。その多くの原因を含んでいる過程に目を向けることは時間のかかるものだと思う。ヨガはその過程を大事にしましょうといっているものなのだ。


これも自分の確固たる信念をベースに語られている。いわゆる哲学というやつだ。

何かを理解したり、分かったり、気づいたりするためには物事を分解して、コマ割りにして、
スローにしていくことが唯一の方法であり、そのために忍耐力が必要とされる。というものだ。

忍耐がないとその過程をゆっくり見ながら、その複雑な原因が重なり合って結果をつくっていく様が分からない。

別にヨガでなくとも良いのだけど、パタンジャリ師のヨーガ・スートラの心の科学はそうであると
自分は信じているから間違いないと確信しているのだけども、もちろん、仏陀(ゴーダマ師)も
解釈によっては近いことを言っている。

しかし、これがどれだけ大変なのかは分かる。小さい頃より文武両道ときかされて育ったけど、
やはり勉強するのが得意な人は体感を伴う身体を使うことに嫌悪感を。。。
身体を動かすことが得意な人は思考を伴う頭を使うことに嫌悪感を。。。
相反する陰と陽がバランスよくあるということを求めるには忍耐が必要で、側に見守ってくれる人が必要だ。


# 11:37 反応をすぐに引き起こす薬を使って良くしようとする方法とは違い、複雑に存在している身体と心の原因にゆっくり向きあっていきましょう。ということなんだろう。誰かと良い関係を、維持したい、誰かの役に立ちたい、その為に自分を良い状態にしておきたい、などの情熱を持たない人には耳が痛いだけか…

すべての出来事が自分に印象を与え、その印象が原因で自分の中で化学反応がおこるかのように、考えが浮かぶ。
そのパターンには法則性のようなものがあるようだが、そこまではゆっくり見れない。
1つの反応として心に浮かぶ何かしらの感覚や感情が身体に影響を及ぼしているということ。
それが、痛みや苦痛を生みだしているのだ。

身体の免疫力が一番上がるという37.5度ぐらいになるのは必要だからであり、
それを風邪だからといって解熱剤で熱を下げてしまうのはどうだろうか?

まぁ、それ以前にこのツイッター自分で何言っているかよく分からないというのもある。。。

こうやって自分の発言をゆっくり分解して見直すのはある意味楽しい。

古代の人では出来なかっただろうな~と思う。現代の人はある意味簡単に作業を深めれる。
そのかわり何かを失っているのだろうな。。。
古代の人はどの部分が代わりに発達していたのだろうか?

戦国武将の兜(かぶと)から見ても、現代と昔の人々の頭蓋骨の形状も違っていたそうだし、
発達している部分は違うのだろうな。。。

| [ヨギの独り言]独り言 | 18:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伊勢に挨拶に行く。

インドでの挨拶は 『ナマステー』が有名だ。

これはインド人が使っているヒンディ語ではなく、古代の言葉、サンスクリット語になる。

Namaste は、「namas(礼拝)」と「te(あなたに)」が合わさって出来た言葉だ。

日本でも古代より八百万の神(やおろずのかみ)といって沢山の神々として自然にある
すべてのものや我々、一人一人にも神性を帯びた要素があるという感覚を共有してきた。

私の中の神聖な部分が、あなたの中の神聖な部分に挨拶をします。

この感覚が 「ナマステー」 であり、「礼拝」なのだ。

感覚を持つということはすごいことで、よくお参りなどで「願い事をする」人がいるけど、
願いを誓うならまだしも、「願う」とは大きな違いがある。

自分で何とかしろよ! って話なのだ。

自分で何とかするときに、背後で多くの(八百万の)力が見守ってくれているという
感覚を持つと頑張れるのだ。

調子乗りすぎといわれて仕方ないと思うけど、聖徳太子が使った方便なのかもしれないけど、
日本はアジアの東の端の国。

東といえば太陽の昇る側。

象の国、インド。

龍の国、中国。

光を射す国、日本。

その光の天照大御神(アマテラスオオノカミ)が住んでいるのが伊勢神宮だ。

最近はパワースポットという言葉が有名になり伊勢神宮にも参拝する人が増えて商売の神は微笑んでいる
ようだけど、伊勢神宮は特別な場所なのだ。

アマテラスが住んでいるのだから。

こうやって表現すると頭がオカシイ人と思われてしまう。

でも、おかしいのはオカシイと思った人なのだ。

日本という国がどんな国なのかを説明するのによく使うのだけど、
日本人はアマテラスが伊勢に住んでいると信じている国なのだ。

20年に一度、古代の神殿造りで家を建てて、アマテラスは引越しを続けている。

神宮式年遷宮と正式に呼ばれる引越しは、690年に最初にされたといわれ、その後、
1300年間続いているのだ。

我々は長年、目に見えないアマテラスさんを70回以上も引越ししてもらっている。

そして、そのアマテラスさんに会いに行き、挨拶をするのが『お伊勢参り』だ。

江戸時代にはヤジキタ道中で有名な、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』が
火付け役となり一生のうちに一度は『お伊勢さん』に行くことが流行ったのだ。

自分も海外に住んでいるときにこういった事実を知り、その結果、日本に帰国したら
独り東海道中膝栗毛をすることになる。。。

年末の寒い中、独りで150㌔の道程を5日間かけて歩いて『お伊勢さん』まで行った。

それ以来、毎年一回は挨拶に行くようにしているのだ。(今は車でいきますが・・・)

1300年もの間、見えもしないアマテラスさんを20年に1回引越し続けている国があろうか?

ある意味、我々はファンタジーに生きる貴重な少数民族なのだ(単民族としては人口多いけど・・)。

そして、伊勢神宮に行った人は分かると思うけど、太い木がそびえ立ってるのだ。その木と1300年の
引越しの歴史を感じると鳥肌がいつもたつ。

感覚をもつことが大事なのだ。

感覚さえ持っていれば『願い』など何でも叶うのだ。

確かに無敗の日本が大戦で負けて自信を失って揺れているのは分かるけど、もうそろそろいいでしょ?

経済でもやっぱり昇りつめて技術という光を照らしてきた日本。

後は自信を持って感覚を大事にすれば何も不安などないはずなんだけど・・・

もちろん、象と龍に対するリスペクトはわすれちゃいけませんが。


| [YOSHI ' S LIFE]趣味 and 興味 | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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物の価値と値段。

さてさて、またつぶやきからの独り言です。

『好奇心は人を動かす』というタイトルの連続ツイートでした。

(1)長い間、家の通路の電球が来れているんだけど、そこで本を読むわけでもないからほったらかしにしていた。今日たまたまコンビニにいく用事があり、100円ローソンに入ったら電球が売っていたのだ。


(2)実はマンションの下の管理の人からも電球を購入できるのだけど、廊下だし、そこで本を読むわけでもないからほっておいたのだ。しかし、100円ローソンで購入した時に管理の人の顔が浮かんだ。


(3)マンションの下ではいくらで販売しているのだろうか?同時に100円ローソンのやつは使えるのか?
という疑問もあったんだけど、買ってみるのが手っ取り早い行動実践学なんで買ってみた。

(4)幸いにも2つぐらいは電球はきれているはずだった。で、マンションの下で購入してみることに…
はい。450円なり。4.5倍!さてさて。明るさ4倍なんて事はあり得ないので、もちが4倍かどうか?
これが次の疑問となり、疑心暗鬼な気持ちは拡張されていくのだ

(5)下で購入できるのは便利だとはいえ、4.5倍で買わされているのを皆は知っているのだろうか?
逆に販売をしている管理の人は、 100円ローソンで購入できることを知ってて販売しているのだろうか?
知らなかったとしたら、知ってしまった後に罪悪感はないのだろうか?

(6)あり得ない価格で買っていると判断しているのは自分だけで、
他の人は便利価格を満喫してるかもしれないからあえて誰かを傷付けることはしないけど、
今、物の料金がドンドン下がり傾向の中、うかうかしていると損をしてしまう。

(7)自分にかんしては毎日どちらの電球が早くなくなるでしょう!
の、大会を楽しむとして他ごとには興味はないのだけど、
もしかしたら通路で本を読んでみたら以外と集中できるかも?
という考えがうかんできているのだ…動く、動く。


実にくだらないツブヤキだ。。。

深夜の恋文や電話のようにテンションだけがハイになって、その瞬間だけ本人が楽しいってやつだ。

面白いことが起こって、その話をしてもその瞬間にいない人には笑えない話とおんなじだ。。。

とはいえ。通路で本は読んでみたんだけど、寒いからすぐリビングへと移動するはめに・・・

モノの価値と値段もどんどん変わっている。原価はいくらなんですか?
といいたくなるフラッシュビジネス(グルーポンとかね)や激安居酒屋。

海外の工場で何語をしゃべるか分からない人達が、何を原料にしているか分からない食材で作った物が
冷凍で袋詰めにされて輸入される。

後は解凍と簡単な調理(暖めるとか、火でちょっとあぶるとか)で日本の物価で販売される。

もう国も政治家も企業もレストランも信用するのが難しいのだ。

ちなみに、中国ではマックのコストが流出したそうだ。

その一覧表によると、ハンバーガーは2・22元(約28円)で、チーズバーガーは2・78元(同35円)。
以下、ビックマック5・14元(同65円)▽チキンマックナゲット4個入り4・96元(同63円)-

中国のマックだから定価も日本よりも安いと思うけど、世界の工場や流通は共通(グローバル)化している
のではないかと思う。しかも、中国での定価の半額くらいって話だからこの額には
流通や人件費も入っていると思われるそうだ。

我々のメインの活力はなんといっても食べ物だ。

取り入れる食べ物と知識が行動を生み出していく。

その行動に『私』というものがでるのだ。

と、駄菓子を食べながら・・・独り言をつぶやく・・・

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