あるヨギの独り言

毎日を楽しく生きるヨギの自叙伝(日記)。 名古屋でのヨガインストラクターとしての生活やヨギとしての旅を続けるYoshiの成長日記です。

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ヴィパッサナー瞑想への旅 ⑦

【7】愛とは友情なのだ。


武士がいたとする。

武士が従事することとは自分の国を守ることである。

だから日々修練する。

身体を鍛えたり、剣を毎日振ったり・・・
実際に戦においては、戦い国を守るのだ。

時に、剣を振るう時には、儀式をしたり、
剣を振るうことによって殺めてしまった人を供養するお祈りをしたりすることもあろう。

日々修練するのには決意が必要で、時にさぼりたくなったりもする。

だから、ルールが必要だ。自分にウソはつかない!規則正しい生活をする!

不正はしない! 国の為に尽くす! などなど・・・

剣を振るう練習をしないで、儀式だの、お祈りだの、日々の生活のルールだの
言っていたらどうだろうか?

あれは、武士ではない!という人もでてくるだろう・・・

武士の精神が大事だといっても武士が行う練習とその戒律によって培うのが精神なのだ。

今の日本の仏教では、その儀式だけが使われている気がする。

日本の仏教は平安時代から勢力争いの政治の道具として都合よく使われて
培われてきたわけだし、当時は流行り病、飢饉、天災などから守ってくれるものであれば、
なんでもそれにすがっていた時代なので、運よく結果を出した日には資金をいっぱい出して
もらえ、それを紹介した一族は地位が高くなっていったわけだから仕方ない。

分かりやすく言うと、国は意味もなく、『道が大事だ!道路だ!高速道路だ!』と言えば、
その政治家とつながっている道路公団、建築に関わる会社、システムに関わる会社が潤うのだ。

ある政治家が、この儀式だ!とある政治家が、このお祈りだ!別の政治家が、この神だ!

そうやって、実践的な内容と本質は遠のいていくのかもしれない。

ブッダが彼の気づいたことをもとに宗教にしてはいけない!と本当に言っていたのなら、
仏教徒であることがブッダの教えに反している踏み絵になるのだろうか?

まぁ、表面的な形にこだわらず、本質的な内容、すなわち実践的なものにしか興味がないので、
自分にはどうでもいいのだけど・・・

結果、どうであれ、幸せであればいいのだ。幸せならば争わないだろうし、そんなに病気にも
ならないだろうし、よく眠れるだろうし、不安もないだろうし、前向きで顔色もいいはずだろうから。

自分にとっては武士として身体を鍛え、心を鍛錬する練習もしないで、武士の心得を読んで
武士になったきになっている自分が許せないだけだ。

それは実践を大事にするヨギの精神からも反するのだ。

そういった意味では、ヴィパッサナーにはウソっぽい部分がなくて嬉しかった。

現実的なのだ。

この10日間の中で同じ部屋の7名はどこかで会ったことがあるのでは?

と思うくらい、見たことのある顔だった。

会ったことがあったのは実は他の部屋にいる石川のアシュタンギだった。

トシさんとは帰りのバスや電車で会話が弾んだのだが、同じプラクティスをしているもの同士、
どのように感じたかがとても興味がわいた。
とても面白い感想を書いているので興味がある人は読んだらいいと思う。

この人はどういう人かな?とか、みんな考えているらしい。

自分は予想しても意味がない。
と、思っているのか、興味がないだけなのか、気にしなかったけど、
他の人々は自分のことを確信を持って誰か決めていたようだ。

確信を持って!

最後の10日目で会話を許されるのだが、ほとんどすべての人に、

『どんな格闘技なんですか?』

と、聞かれた。

ほぼ、全員が格闘家で精神修行の為にこのコースに参加していると思っていたそうだ。

。。。。(笑)

確かに、毎日、庭で散歩して・・・日向ぼっこして・・・丸太のベンチで腕立てして・・・
ストレッチばかりしているのだから・・・

むしろ、『昔はK-1にも出たことあるんですよ!』ぐらいの平和的ウソの方が
皆を幸せに出来たのだろうか?

最終日は、ナンシー先生がよくする Loving-Kindness 瞑想と似ているスタイルのものだった。
メッターと言う。パーリ語ではそう言うが、サンスクリット語ではマイトリだ。

よく『愛』と訳される。勘違いされやすい単語だ。

同じ部屋の7名は瞑想中、坐る場所も自分の左右と前に4名だった。

部屋の配置も左右と前に4名。自分を中心というと "ずぅずぅしい" と思われたり勘違いされるが、
配置的に囲まれていたのだ。

10日間も。

外人の少し年配の方は別として、他の男性はなんとなく同年代。

そして坐っている間も、みんな頑張っている気がした。

部屋でしてもいいとなっている時間も瞑想ホールでまじめに坐る。皆が頑張るから自分も動かない。

気づいたら最後の一時間になっていた。

彼達がいたから頑張れたのだ。

彼達の頑張りが自分に深い集中をもたらしてくれたのだ。

話したことはないけど、寝言や足音で楽しませてくれた。

彼達の・・・・彼達の・・・

感謝でいっぱいになり、深い感情がこみ上げてくる・・・

冷静でいないといけないだろうに・・

それは浄化の涙だった。

この友情がマイトリだったのだ。メッターだったのだ。

愛とは友情なのだ。

昨日の敵は今日の友なのだ。強敵と書いて友というのだ。(←どっかからのパクリです。)

湧き出る感情が収まるまで一人で坐っていた。

どうやら外にでれば話すことができるようだ。乗り遅れたようだ。

外では自分を格闘家と思っている皆さんとの会話が待っていて、
その次の日には朝食後には皆で掃除をして解散なのだ。

結局、淡々と時が流れ解散の時がきた。

すがすがしいのだ。

思っていたより苦痛も少なく、むしろよい時間が過ごせた気がした。

が!

すべての苦痛はこの後だった。。。。

長くなったので・・・次回に回します・・・
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