あるヨギの独り言

毎日を楽しく生きるヨギの自叙伝(日記)。 名古屋でのヨガインストラクターとしての生活やヨギとしての旅を続けるYoshiの成長日記です。

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11月のヴィンヤサクラス

11月は大阪の佳子さんが訳をしてくれました。

佳子さんは以前に名古屋までマイソールクラスも受けに来てくれたアシュタンギです。

さてさて、今月の課題は ASTEYA (アステヤ)であり不盗だ。

ヨ-ガスートラの実践編の1つめのヨギとしての5つのルールのうちの3つめにあたる。

このテーマは興味深いものです。インテグラル・ヨーガでは解釈にページが使われていながら
グレゴーリ・メーレさんの現代人のためのヨーガスートラではあまり触れていません。

現代において何が盗んだことになるのか?何が富であり成功であり繁栄であるのか?

その当たり前の文字の定義が曖昧になってしまっている気がします。

盗みとは相手の所有物を取り上げることですが、それが考え(思考)であったり、
言葉であったり、行動である場合があります。

考えにおいては他の人の所有物(時に身長や体重などの持って産まれた才能だったり)を羨ましがることですら
当てはまるかもしれないし、自分の考えとかではなく誰かの言い方を取り上げたり、行動において物を
取り上げたり。。。

社会においてはその利益を独占するという行為が盗んでいるという解釈にもできたり。。。

1つ重要なことはヨーガスートラは最高の幸せを手に入れる為の究極の方法を記したものなので、
そうしないといけない!という訳ではないことです。

より幸せな考え方や人との接し方や行動をするんだったらアステヤを意識するといいですよ。

ぐらいでいると現代社会では楽になるかもしれません。

ところでタイトルにヴィンヤサクラスとありますが、今月のテーマは隅々まで探しても
アーサナによる気づきに運べれる気がしません。。。
所有するという感覚において物が物体してあったりアイディアとしてあったり、音源としてあったり、
データとしてあったり映像としてあったり共有という形であったり、、、
その感覚の境界線がある意味自分の中で崩壊している点でどうも表現できる自信がないです。

申し訳ない。。。

なので、欲求に関する意識を高めて正常化するヴィンヤサだったり、アライメントを再確認する
ヴィンヤサだったりメンバーに合わせて色々チャンティングするクラスだったりになると思います。。。


ではでは、ジヴァムクティはシャロン先生によるコラム、今月のクラスのテーマです~

↓↓↓
Asteya and Veganism

asteya-pratishthayam sarva-ratnopasthanam (PYS II.37)
When one stops stealing from others, prosperity (material, mental, and spiritual) appears.
他の存在から盗むことを止めたとき、繁栄(物質的、精神的そしてスピリチュアルな)がもたらされる。


ヨガスートラには、パタンジャリによる5つの助言が載っています。
ヤマといい、自由を得るための他者への接し方なのです。
3つめのヤマはアステヤといい、不盗を意味します。
ブラフマナンダサラスバティは盗みとは「他者から違法に横取りすること」
と定義しています。
人は搾取されていると感じるから、もしくは劣っていると思うから盗むのです。
他者から奪うことで、自分の欠点を補おうとするから盗もうとするのです。
私たちが物を盗む時、それは将来に影響する恐ろしいカルマに繋がっています。
しかしヨガのプラクティスを通じて、自信を持ち、すべてのものとの一体感、
完全であるという感情をもてるようになります。
安心するために盗む必要はないのです。
肉、乳製品、ファッション業界は、赤ちゃんにあげるための母乳、温めるための羊毛、
生まれるときに皮膚をくるむための毛皮を盗むことで成り立っています。
動物を閉じ込めておくのは彼らから一生を取り上げることです。
動物を殺して食べるのは彼らから命を奪うことです。
肉や乳製品業界は、動物たちに生きる目的があって、それは人間に搾取され利用されることではないと
いうことを我々の目から隠しています。
肉や乳製品を食べる時、動物は私たち人間のために存在するのだと思っているため、
彼らから盗んでいるという意識はないでしょう。
事実、そういったことを質問するのはおかしいとさえ思わされています。
しかし本当は、動物が私たち人間に売買されることに納得しているわけではないのです。
勝手な理由で彼らの命を奪っているのです。
パタンジャリによれば、物質的、感情的、精神的な面でもよいことではないのです。
誰かが言いました、「もし誰かが肉を食べたとしても、それは彼らの問題であり、
反対することではないし、彼らの嗜好にあわせていけばよいのだ」と。
ヨギとしての回答は、自分たちのすることはなんであれ全ての人に影響するということです。
誰かが肉を食べることは、皆に影響するのです。
肉、乳製品業界は地球環境に対して甚大な影響をもつからです。
肉を食べることで、動物のたくさんの命を奪うだけでなく、次世代に生まれ来る世代から綺麗な水、
空気を奪っているのです。
たくさんの人間が飢えている時に動物の苦しみを気にかけることはできるでしょうか?
はい、人間のことを考えずに動物のことをいたわるわけではなく、菜食主義は地球にも世界の飢えを
減らすことにも直接つながるのです。子供は2秒に1人死んでいます。
1ポンドの肉を作るのに15-20ポンドの作物を必要です。
アメリカ人の肉を食べる人の10%が菜食主義になれば、毎年飢えで亡くなる6千万人の食料に相当する
1200万トン以上の穀物になるのです。私たちが盗まないというプラクティスの素晴らしさを理解できる
ようになれば飢えを克服し、食べるものを十分得ることができるのです。
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| [ヨギの独り言]Yoshi ヨガクラス | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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