あるヨギの独り言

毎日を楽しく生きるヨギの自叙伝(日記)。 名古屋でのヨガインストラクターとしての生活やヨギとしての旅を続けるYoshiの成長日記です。

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アシュタンガヨガの練習と説法(カンファレンス)

アシュタンガヨガの頂点に存在するヨギ、
シャラス先生の東京ワークショップ2012年が行なわれました。

今回の開催に当たっては、
自分もシャラス先生の来日に関して少しお手伝いなどもしていたので
余り告知してなかったのですが無事に来日できて本当にホッとしていました。

写真 12-05-22 8 11 11


いくつか外せない用事があったのでバリの時のワークショップと違って
フルでの参加できずに部分部分の参加となりましたが、
2回あるカンファレンスの初日には参加できたので良かったです。

香港でのアジア最大のヨガフェスタ、AYCでもレッドクラスしているけど、
やはり部分参加になってしまっているのが最近です。

自分の決意や意志の弱さが見え隠れしている最近の自分に対して、
東京でのワークショップのカンファレンスは刺激的な内容でした。

いつものインドでのカンファレンスと同じだろうと・・・
メモも用意したかったのが残念です。

部分的に心に響いた部分を紹介します。

丁寧にカンファレンスでの内容を紹介している人がいるかと、検索したのですが
記念撮影的なものばかりで話している内容は見つけれなかったです。。

でも、参加したアシュタンガを伝えるヨギ達からその内容はレッスンを通じて
伝わると思います。

写真 12-05-26 8 58 21

シャラス先生の行ったことなのか?自分の解釈なのか?少し混同してしまっているかも
しれないのですが、基本的にココで紹介していることは、普段から感じている違和感の部分
なので悪しからず。

日本のヨガ市場において自分が感じている違和感について、ヨガの練習とは・・・と、
はっきりと言ってくれました。(別にシャラス先生は日本の事情を知らないので
批判したわけではないので悪しからず。練習とは、と、一般的な話をしただけです。)

カンファレンスは、ヨガのポーズについてだけでない部分に触れられるので、
インドでの日曜日のカンファレンスもいつも楽しみにしているのだけど、
今回は特に興味深かったです。

ヨガの練習は正直、理論というか向き合い方を正しくして、何をしているのか?
を分かって行わないと意味がないと言うのが自分の持論としている。

そういう意味において、
20年ポーズをし続けても分かってない人には(ヨガの練習が)意味をなさない的なことまでいう、
シャラス先生の今回のカンファレンスは刺激的だった。

まぁ、何よりも以前から一般的に本に書かれていたり説明されている内容に
違和感を持っていた部分についてシャラス先生が、はっきりと違うと説明していた部分には感激だった。

約1時間の間に説法と質疑応答があった。

メモもとらずに、頭をフル回転させて、耳を集中して理解しようと聞いていたので、
自分が思ったりした事と混同しているが、とりあえず整理する為にも部分的に書き出そうと思う。

ヨガの練習はスピリチュアルなものと言われるが、
スピリチュアルなプロセスの出来事をプラクティスと呼んでいるにすぎないという説明があった。

プラクティスは継続され続けて行くことによりスピリチュアルなものとなるということだろう。
環境が美しく、素敵な言葉の説明でのヨガのプラクティスを、あぁ、神秘的だ!

スピリチュアルなプラクティスだ!

と渇愛する人がいるけど、すべてが正しいとは言えないのだ。
1番最初からヨガの練習をそういった神秘的なもので正しいと思ってしまっている人は、
中々間違いに気づくのは難しいと思う。残念ながら・・・

シャラス先生の話では、ヨガの練習とはいえない練習とは、
神社に行き、意味も分からずにチャンティングするようなものだとあった。

神秘的な神社が多い日本において、念仏の意味を知っている人や、
八百万の神たちを感じて参拝する人が少ないことをシャラス先生はしらないのだ。。

アーサナ、ポーズの練習だけをアシュタンガヨガの練習だと思われているが、それは違うのだ。
それは、8ある部門の1つにすぎないのだ。ヤマ、ニヤマと共にアーサナの練習を継続するぞ、
という確固たる約束がされている上でプラクティスは身体・マインドを浄化する。
それが自分の中にある智慧を成長させて精神を浄化するのだ。

シャラス先生の説法は、経典からの抜粋をしながら進めて行く極めて王道の説法だと思う。
しかし、実践的なプラクティスがベースなアシュタンガヨガなだけに、説明もプラクティカルだ。

ヨガとは心の動きををコントロールする事だと言っていた。
一般的に本などでは死滅とか動きを滅するものだと定義されて説明されるけど、
実際に、ヨガの練習においては心の動きを制限(コントロール)と言った方がピンとくるのだ。

ハタヨガプラディピカを引用して、
そういった心の動きを制限するための智慧を育む為にアーサナの練習をするのだと言うことだった。

今回の説法においてテーマをつけるなら、アシュタンガヨガのプラクティスとは?
と言っていいだろう。

そのテーマとは関係ない質問もいっぱいあったけど、それはそれで面白いものだったのだ。

ある質問で、シャラス先生は瞑想そのものの練習はするんですか?というものがあった。

瞑想の練習をしてる、してないの返答は忘れてしまったが、
瞑想の練習をしても瞑想状態にあるわけではない、という事を言っていた。
日常の生活の中でも深い感覚になり、瞑想状態になることもある。

アシュタンガの8つの部門の7番目にあるディヤーナも瞑想と訳されがちだけど、
瞑想と説明するのは間違っている。ちゃんと理解して練習していれば、
アシュタンガ(ヴィンヤサ)ヨガの練習は瞑想の練習だともいえるのだと。

実際はもっと上手に説明をしていたんだけど、この時自分は嬉しさに舞い上がっていたのだった。
自分なりの根拠があって、普段からディヤーナは瞑想と訳されているけど間違いだと言っているので、
これには励まされた。

全ての日本語のヨガの本や有名ヨガティーチャーが瞑想ですと言っているなか、
違うと言い続けるのは疲れるのだ。

ここの解釈が違っているだけで、
アシュタンガ(ヴィンヤサ)ヨガの練習自体が異なるものとなってしまうのだ。
今回のレッドクラス中にシャラス先生が何回、呼吸音を大きく!と、言っていたことか・・・

バリでも、香港でも、レッドクラスのワークショップに参加しているから分かるけど、
繰り返し言っている回数は異様なほど多く感じた。

カンファレンスでの質疑応答ではベジタリアンについてや、
ウジャイ以外の呼吸法についての質問があったけど、
アシュタンガ(ヴィンヤサ)ヨガは特別なヨガではなく、
あるアプローチ(練習方法)によるハタヨガだから、呼吸法の考え方も普通なのだ。

第1回目の初日のカンファレンス(説法)では、ヨガの練習についてが多く語られた。
大事なのは練習そのものではなく、練習生の練習に対する意識の持ちようであり、そのプロセスだと。
何度、コミットメントという単語を聞いたことか!

2日目のカンファレンスに参加できないのが残念だ・・・

またすぐに香港で会うと思いますが、
来年は名古屋飛ばしで京都でのワークショップが実現されるかもですよっ!!

写真 12-05-26 13 03 34

そのまま台湾へと飛び立ち、そして香港だそうです!


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